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2009年06月15日

竹ノ輪インタビュー #4 el fog ・ 藤田 正嘉

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el fog ・ 藤田 正嘉 FUJITA Masayoshi / アーティスト


神奈川県出身、現在ベルリンを拠点に活動中。
ヴィブラフォン、サンプラー、エレクトロニクス等を用い、独自の世界感を追求する。
エレクトロニカ、ダブ、ジャズ、ヒップホップなどの音楽からと同様に、
山や霧の持つ静かな緊張感、深み、荘厳さからもインスパイアされ創作活動を行う。
2007年3月、Remote Viewer が主催するイギリスのレーベルMoteerより
アルバム”Reverberate Slowly”をリリース。

http://www.myspace.com/elfog
http://www.moteer.co.uk/

Persons第4回目は、アーティストのel fog・藤田 正嘉さん(以下、el fog 敬称略)です。

el fogのパートナーでありお絵描き家でもある長嶋サクラさんとの出会いがキッカケでel fogのライブにお邪魔するようになり、彼が生み出す音楽はもちろん、そのお人柄に男惚れ。

ある日のことサクラさんの「プラネタリウムとかで聴いてみたいねぇ~。」という発言に対して「そうだ!そうだ!プラネタリウムで聴きたい!聴きたい!」と毎度の竹ノ輪的勢いでプラネタリウムライブ企画を始動!その時点で既にお2人がドイツに旅立つまで残り数ヶ月。ヴィブラフォンが演奏できるプラネタリウムを探し出し、大急ぎで告知して、「プラネタリウムでヴィブラフォンを楽しむ会」を開催。短い告知期間にも関わらずライブ当日には100人以上のお客様がご来場。とても素敵な体験をさせていただきました。

そのライブの後、お2人はドイツへ出発。ベルリンで音楽活動を開始してから1年と1ヶ月。2007年3月には1stアルバムを発表し、現在は2ndアルバム発表のため作曲活動真っ最中のel fogインタビューをお届けいたします。

なんせ今回はドイツのベルリンですからね。Skype(スカイプ)を使ってベルリンと東京都を繋いだワールドワイドなインタビューとなりました。

Interview


「キッカケはBON JOVI(ボン*ジョヴィ)」
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――早いですね。日本からベルリンへ移って1年。プラネタリウムでのヴィブラフォンライブが2006年9月9日でした。その後も色々なイベントを実現しつつ、ドイツへ旅立つ準備も同時に行うという怒涛の日々だったと思います。ドイツに旅立たれたのがいつでしたっけ?

2006年11月11日に日本を出発して、ドイツに到着したのが2006年の11月12日でした。

――さて、敢えてel fogに肩書きを付けるとすれば「ミュージシャン」ですか?それとも「アーティスト」とお呼びすればいいですか?

ん~、版画もやっているので、アーティストでいいですかね。

――では、早速ですが、el fogがアーティストを目指した経緯を教えてください。

小学校低学年の頃にBON JOVIをCMで見てから音楽が好きになって、父にBON JOVIのCDを買ってきて貰いました。その頃からですかね。

――BON JOVIのどのアルバムを?

「New Jersey」です。「Bad Medicine」がCMで流れていたんですよ。それがものすごく気に入ちゃって。で、父にCDを買ってきてもらって。中学生くらいまでBON JOVIにハマっていましたね。

――まさか、BON JOVIが入口だったとは!むちゃくちゃロック&ポップ&アイドルじゃないですか!

アイドルロックポップですね。(笑

――では、モトリー・クルーとかも?

モトリー・クルーは高校生になってから知りました。随分とロック色が強くなってからしか知らないですけど。でも、やっぱり最初はBON JOVIだけでしたね。小学5年生か6年生くらいの頃には、BON JOVIと他に3組ほどバンドが出演したカウントダウンコンサートを東京ドームに観に行きましたよ。これも父に頼んでチケットを取ってもらって。

――「俺をBON JOVIに連れて行け!」と。

そそ。当時、BON JOVIのメンバーは相当疲れきっていた時期で、解散の寸前の危機だったようですが、そんなことは後から知って。僕は、それをキッカケに音楽に興味を持つようになって。その頃、ジョン(BON JOVIのボーカル)がソロ活動をはじめたのですが・・・。って、こんな話しでいいですかね?(笑

――いいんです、いいんです。知らない人たちは、きっと驚きますよ。まさかel fogのキッカケがBON JOVIとは想像し難いですからね。そんなキッカケがあって、自ら演奏されるようになったと?

父がジャズ好きで、サックスを吹いていました。そんな環境だったので、僕も楽器を触る機会がたまにあったりして。そんな中、適当にドラムを叩いていたら「(ドラムを)やりたいのか?」みたいなことになって。そ ういった流れで最初はドラムをはじめました。それが小学校5年生くらいですね。

――では、最初はジャズドラムを?

はい。自分がやりたかったのはBON JOVIみたいなロックでしたけど。父はジャズをやらせたかったみたいで、ジャズのプロドラマーに僕を習いに行かせたりしていました。

――やっぱり違います?ロックとジャズって?素人ながらに、グルーヴを刻むのと、ダカダカと縦にノルのでは丸っきり違うような気がしますが。

そうですね。やっぱり叩き方からノリから、全く違いますね。

――小学生からドラムをはじめてから、いつ頃までドラムを?

25歳くらいまでかな。10年以上ですね。今でも機会があればやりたいんですけど。ドラムの才能がなかったので辞めました。辞めたというか、ビブラフォンに乗り換えたんです。それが、2003年頃ですね。

「ヴィブラフォンの音が好き!」
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――そのヴィブラフォンと出会ったキッカケは?

父がジャズ好きと言いましたが、そのジャズでよく使われる楽器なんです。だから、CDやレコードでたまに耳にしていました。その音が好きで、ずっと「この音いいなぁ~」と思っていて。自分がドラムでバンドをやっていた頃にヴィブラフォンのパートを探したのですが、ヴィブラフォンをやっている人がいなくて、最終的には「自分でやるか」ということになって始めたのが、そもそものはじまりです。

ヴィブラフォンをやっている人は少ないですからね。歴史のある楽器でもないですし。ヴィブラフォンが登場してから100年くらいかな。比較的新しい楽器です。

バンドでドラムをやっていた頃、すごく自分の曲を創りたかった。でも、ドラムだと曲作りが難しいから、ウワモノの楽器をやりたいなと思っていたことや、バンドでやるよりも1人でやっていく方が自分に向いているかなと思ったこと、それにヴィブラフォンが前から好きだったととか、色々なことが重なってヴィブラフォンを始める事にしました。

――ヴィブラフォンの音も好きだし、曲も1人で創れるし。

それに、見た目もかっこいいし。(笑

――自分の表現したい音楽に必要だった。自分がイメージする曲づくりに必要だったと。様々な理由が重なってヴィブラフォンをプレイするに至ったという訳ですね。

まずは、ヴィブラフォンの音が好き!ということが一番かも知れません。そこに様々な理由が後から重なって「よし、俺がやるか!」ということになって。

で、やると決めた後、いきなりヴィブラフォンを買ったんですよ。やると決めると同時に買っていましたね。たまにそういうことがあるんですけど。決めちゃったから買っちゃうみたいな。(笑

「狙っている感じが表現できるので面白い」
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――話は変わって、版画の制作はいつ頃から?

版画は、日本に居た頃から制作していました。1stアルバムの準備をしていた頃からかな。2007年3月に1stアルバムが出ましたが、2006年の春頃に1stアルバムをリリースする話しがあったのと同時にアルバムのジャケットをどうするかを考えていました。写真やら絵やらを色々と探しましたが、気に入るのが無かった。

アルバムのジャケットは「見た目で音楽の内容がわかるようなもの」にしたかったので、「自分でやるか!」ということになって。色々と考えた結果、版画の質感がとても良かったんです。で、版画でやっていこうかなと。色々試した結果ですね。試行錯誤を重ねて、最終的にあのような版画が出来上がりました。

――先日、その版画作品を初めて生で拝見しました。el fogの音楽を聴いているからか、作品全体がうねる様な印象を受けました。版画という手法のためか、黒の質感がそう感じさせるのか。作品の中の鳥だけをずっ~と見ていると、その周辺の景色がグワングワンと動き出す感じがします。

ええ、ワザとウネウネした、霧っぽい、雲っぽい感じを狙って制作しています。そういうのが結構面白くて。版画は、そう云った狙っている感じが表現できるので面白いです。

――版画と出会ったキッカケは?

影響を受けたのはマックス・ビルというスイスのグラフィックデザイナーです。彼の作品の中で、版画をモチーフにしたデザインがあって、それからヒントを得ました。版画というか木目が前面に出ていて、それを見た時にこういうのがいいなと思って始めました。

マックス・ビルはコルビジェのブックデザインなどをした人です。彼の作品集を買って、その中のひとつに先ほど云った木目をモチーフにしたのがあって、それからアイデアをもらったのがキッカケです。

――今でもコンスタントに版画を制作しているのですか?

大抵の場合、版画に取り掛かったら版画だけ、曲づくりをはじめたら音楽だけですね。今は音楽に集中している時期です。

――なるほど。今は次のアルバムに向けて曲づくりを?

そうですね。次のアルバムに向けて曲づくりに集中しています。

――曲づくりはご自宅で?

はい。家でつくっています。

――ご自宅でヴィブラフォンを叩くのですか?

ええ。ヴィブラフォンにマイクを立てて、パソコンで録音しながら制作しています。

「ベルリンしかないかな」
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――さて、少々時間が遡りますが、何故日本を離れてベルリンで活動されることになったのか、その理由を伺えますか。

そうですね。僕がやっている音楽は「エレクトロニカ」と呼ばれることが多いんですが、そういった音楽はベルリンが一番盛んな中心地なんです。世界で見たらドイツ、イギリス、日本、アメリカ等で盛んなんですが、その中でもベルリンが一番ですね。「エレクトロニカ」はテクノから派生している音楽ということもあって、ベルリンにはそういう人たちも多いし、レーベルやアーティスト、ミュージシャンも集っています。それに、僕が一番好きなレーベルもベルリンにありました。

それに、何年も前からヨーロッパに住みたいと思っていて、数年前にヨーロッパへ下見旅行したんですよ。その時は、スイス、イタリア、フランス、ドイツを回りました。その中でもドイツとスイスが性に合った感じでした。その下見旅行の時に、丁度ベルリンの物価が安かったこととか、世界中のアーティストが集ってきているという情報を小耳に挟んだりしていて。

そう云った理由が合わさって、その下見旅行から帰って来た後には「ベルリンしかないかな」という感じでしたね。それが2004年の11月だったかな。それからベルリンへ行くために、1年くらいみっちり日本で働いていました。

――サラっと「ヨーロッパに住みたい」とか「下見に行った」って仰っておられますけれども・・・。新宿から吉祥寺とかに引っ越すのとは訳が違いますよね・・・。長く普通に日本で暮らしている身としては、その感覚がちょっと驚きだったり、羨ましかったりしますが。「ヨーロッパに住みたい」と思うようになったのは、どのような経緯が?

20代前半からぼんやりと海外に住みたいと考えていましたね。近しい友達たちが海外に住んでいたり、周りに海外へ出て行く人も多かったということもあって、自分も海外に出て行きたいなぁ~と普通に考えていました。

「当たり前の事」とは思っていませんが、かと云って「とても凄い事」だとは思っていなかったですね。単に、そっちのが楽しそうだと。そう云った流れがあって、今ベルリンに来ています。

――ベルリンに移って1年が経ちましたが、ベルリンでの生活はどうですか?

住みやすいところですね。物価が安いということもありますが、雰囲気がユルイというか、色々な面でルーズでいいです。(笑

元々ドイツという国自体が、日本に比べたら色々なことが「ゆっくり」しているのかなぁ~。逆に、日本が「忙しい」ということもあるし。日本よりも自然が多いしですね。全体の雰囲気が日本よりもっとゆったりしています。

日本から離れているということが大きな原因なのだと思いますが、妙なプレッシャーというか、「こうしなきゃいけない!」っていうのがないんですよね。「いい大人なんだから就職しなきゃいけない」とか。そういうプレッシャーがないのが日本と大きく違う点です。

――日本では、嫌でもそんな目に見えないプレッシャーが蔓延していますよね。

うん、ありますね。僕の両親はあまりそう云った事を言わない方なので、一般的な環境と比較してもプレッシャーが少ない方だと思いますが、そんな親からのプレッシャーを抜きにしても、「日本」という世の中からプレッシャーを与えられているような気がしますね。

――「日本プレッシャー」ってありますね。ドイツは、社会的な目に見えないプレッシャーが緩いんですね。

ええ。それは「ドイツだから」と云うよりは、「日本ではないから」ですかね。周りに知っている人が居ないことも影響していると思いますが。

ただ別のプレッシャーはありますけどね。お金の心配はもちろんあるし、ベルリンでどうしようもなくなったら日本に帰らなきゃならないし。それにビザのこともありますし。そう云ったプレッシャーはありますが、日本のようなプレッシャーはないですね。

――お金のこととか、どうしようもなくなったら日本に帰らなきゃならないってことは、どこへ行ってもあることですしね。ならば、やりたいことをやるには、何はともあれプレッシャーが少ない方がいいですものね。

ええ。なるべく目に見えないプレッシャーを少なくすることを心掛けています。

――そうやって、より良い作品を生み出すと。

そうですね。今のところそれが一番の目的なので。

「制作環境としてはすごくいい場所」
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――ベルリンに活動の場を移されてから1年。どんなことをされていましたか?

そうですね。版画をつくって、ライブして、家を探して、住民登録して、大使館に手続きに行って…、何だか面倒臭いことが多かったですね。(笑

――うん、うん、大変ですよね・・・。イヤ、そうではなくて、アーティストとして、どんな活動されていたのかなと。(笑

あぁ、なるほど。(笑 そうですね、多くのアーティストさんと出会いました。ドイツの人は当然として、日本人のアーティストも含めて色々な国のアーティストと出会う機会が多くて。アーティスト達も他のアーティストとコンタクトを取りたがっていますから、そんな繋がりでライブに出演させてもらったり。そうやって5~6回ほどライブをしたかな。

あとベルリンに来てから本腰を入れて版画を始めました。これもある出会いがキッカケで 、たまたま知り合ったアーティストと2人展を2007年9月に開催しました。その時は、版画制作で忙しくて曲づくりは全然できなかったですね。その展示の後にはビザの申請に時間を使って、それが落ち着いた今、やっと音楽に集中している状況です。

――ベルリンへ移って良かったですか?

そうですね。今は日本に帰ることは想像できません。制作環境としてはすごくいい場所だと思います。

――では、ベルリンでのel fogの1日を教えてください。

午後に起きますね。寝るのが朝方なんで。

――海外に移って音楽をやろうと夢を見ている人って沢山いらしゃると思います。そこで、実際に海外で生活している人の一例として「el fogはこんな風に暮らしているよ!」っていう分かりやすい図を頂けたら嬉しいです。(笑

※と云うわけで、サクラさんへイラストを依頼。それが下のイラスト。

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「柔らかい感じの音が好き」
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――ヴィブラフォンについての説明をお願いできますか。el fogを知らない人や、これからCDを買ってくださる人、それにヴィブラフォンを知らない人に向けて「ヴィブラフォンとはこんな楽器なんだぜ!」と。

ヴィブラフォンは、鉄琴の大きいヤツです。それぞれの鍵盤の下には1本ずつパイプが付いていて、そこに音が共鳴します。そのパイプの上には蓋があり、その蓋とモーターが繋がっています。モーターによって全ての蓋がクルクルと回るようになっています。

そのパイプに付いている蓋が閉じると音は響かない。蓋が開くと音が響く。で、蓋がクルクルと回るから「ワウン~ワウン~ワウン~」と音にヴィブラート(Vibrato)が掛かります。だから「ヴィブラフォン(Vibraphone)」と云います。

蓋はモーターで制御されていますから、蓋の回るスピードを変えることでヴィブラートの速さも変えられます。楽器から出される音自体は、鍵盤を叩いて鳴る生の音です。

ヴィブラホンは、よくジャズで使われていて、1921年にアメリカのディーガンという会社が最初に発明した楽器らしいです。この会社は今はもうなくなってしまいましたが。

初めてヴィブラホンの音を耳にしたのは、父が聴いていたジャズのアルバムです。父の隣で聴きながら「あっ、いい音だな」と。Sublime(サブライム)という生ヒップホップのバンドがヴィブラフォンの音をサンプリングしている「サマータイム」という曲があるんですが、この曲のヴィブラフォンの音が格好良かった。それが一番古い記憶ですね。

ヴィブラフォンは柔らかい音がする楽器です。言葉で形容し難いのですが、独特の響きがとてもいい。特にコードを弾いたときの音が物凄く良い。その辺がヴィブラフォンの魅力ですね。

――音の良さ、響きの良さですね。

叩き方とかマレットによって音が随分と異なるんです。マレットというのはヴィブラフォンの鍵盤を叩く「バチ」のことです。バチの先にボール状に毛糸が巻いてあったっり、その固さや素材によって音が変わります。

その中でも柔らかい感じの音が好きですね。もちろん、もっとキンキンしたような音も出せるし、弾き方を変えて、もっと強く叩けば強い音になったり、より柔らかく叩けばより柔らい音になります。

――el fogは優しく、優しく、ソフトな感じですよね。

ええ。ただ、最近はそうでもなくて、結構叩いてみたりしているんですよ。

――ギターの早弾きのような、超絶テクの早弾き奏法とかあるのですか?

実は、ジャズのミュージシャンでヴィブラフォン使っている人は、早弾きが多いんです。有名な人だとミルト・ジャクソンとか、ボビー・ハッチャーソンとか。バリバリ叩くプレイヤーも多くいますが、僕はそういう弾き方が余り好みではないので。

「自分で作った制約にチャレンジ」
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――さて、アルバムについて伺えますか。1stアルバムの誕生秘話とか。1stアルバムと2ndアルバムの比較とか。

1stアルバムは、曲をつくり出してからアルバムをリリースする前までにつくった曲を殆ど全部詰め込んだようなアルバムですね。1stアルバムに収録されている一番古い曲ではギターも弾いています。4曲目のギターの曲が一番古いんですよ。2003年頃かな。その他の曲のほとんどは2006年に制作しました。

1stアルバムをつくっていた頃は、曲毎に固有のイメージというか、映像や画がイメージされていて、そのイメージを常に念頭に置いて曲をつくっていきました。そのイメージしていた画というのが、今制作している版画(1stアルバムのジャケット)のようなものです。画が先に浮かんでいることもあるし、音を先に出して、その音から画が浮かんで来ることもあります。

その浮かんでくる画と云うのが、霧の中で鳥が飛んでいるような情景なんです。これはヨーロッパでの下見旅行の際に、電車に乗って外を眺めていたら一瞬見えた映像が発端なんです。1枚のアルバムが完成するまで、そのイメージで曲をつくっていました。と言っても、曲毎にイメージする画は違います。1曲毎に1枚の画があって、それを元に曲をつくります。でも、全体の雰囲気は統一されていると思います。

今取り掛かっている2ndアルバムは、1stアルバムとは違うつくり方をしています。1stアルバムは、雰囲気とかイメージを重視していましたが、2ndアルバムは、音自体に興味を持っていて、1stアルバムよりも、もっと音を積極的に扱っています。「先にイメージがあった」というのではなくて、イメージもある程度は見えつつ、音を主体にしてつくっています。なので、1stアルバムとはちょっと雰囲気が変わりますね。

今までは、自分の中に勝手に自分で作った制約というのがあって、それが音楽性を狭めているような気がしていたので、その制約にチャレンジしています。なので、以前だったら絶対使わない音を積極的に取り入れていますね。1stアルバムでは使わなかったようなドラムの音色とかビートの音色とかも使って、自分の音楽に納めていきたいという思いがあります。

――2ndアルバムの完成度合いは?

2ndアルバムに収める曲は大体出揃いました。あとはそれぞれの曲を煮詰めていく段階ですね。

――1stアルバムのジャケットは、el fogの版画でしたが、2ndアルバムのジャケットはどうなりますか?

また版画で制作したいと思っています。どんな版画になるかは、音ができあがって、その時の自分の状態次第ですね。

――2ndアルバムのリリースを楽しみにしています!さて「el fogはベルリンに住んでいるのに、何故イギリスのレーベルから1stアルバムが出たの?」という質問が多いのですが。FAQにお答えいただけますか。(笑

そうなんですか。(笑 実はベルリンのレーベルからリリースする話もあったのですが、リリースのタイミングの問題などもあってイギリスのレーベル「moteer」から出すことになりました。

住んでいる地域のレーベルから出せれば一番良かったんですが、レーベルが別の国でもさほど問題ではないし、どの国のレーベルから出すかは、それほど拘っていなかったんです。レーベルとのやり取りはメールでできますしね。

イギリスのレーベルでも「同じヨーロッパだからすぐに行けるだろう。」と思っていました。距離としては、日本の国内旅行のような感覚で行けると思います。

ただ1stアルバムを別の国からリリースしてみて、もう少し近くの国とか地域からリリースしたいなと思っています。やっぱり、レーベルの人と直接会って話しをしたり、飲みに行ったりしながら「ライブやる?」なんて相談もできるといいですからね。

なので、2ndアルバムはベルリンのレーベルからリリースできたらいいなと考えています。と云いながらも、それほど拘っている訳ではないんですが。まぁ、より近ければ良いなと。その程度に。

「日本でライブやりたい」
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――2007年10月にコンピレーションアルバムに参加されました。「graf」さんや「AKICHI RECORDS」のお話を聞かせてください。

grafさんが「AKICHI RECORDS」というレーベルを立ち上げ、最初のリリース作品となるコンピレーションアルバムにel fogの新曲を1曲提供しました。

と言うのも、2007年の初めに、grafさんと奈良美智さんがベルリンで巡回展を開催されて、その会場の設営作業をサクラが手伝っていたんですが、その時にgrafの方達と仲良くしていただいて。その巡回展のオープニングに行った際にgrafの方々と直接お話しする機会があって、その時にgrafのレーベルを立ち上げてコンピレーションアルバムをリリースすることを伺いました。

丁度その話の前後に、僕のCDを聴いてもらっていて、音楽を気に入ってくれていたこととか、音楽の趣味が似ていたとか、そんな流れでコンピレーションアルバムへ参加することになりました。

――さて、2008年の抱負などがあれば伺えますか。

2008年は、2ndアルバムをリリースしたいですね。そのつもりで今つくり込んでいます。

2ndアルバムの曲づくりが落ち着いたら、版画も頑張って、また個展を開催したい。今度は他の町とか他の国で開催できたら面白いな。

あと日本にも行きたいですね。日本でライブやりたい!

――お待ちしてますよ!またプラネタリウムライブもやりたいですね!

やりたいですね!プラネタリウムという独特の空間は凄かったですね。

――今思えば、超タイトなスケジュールの中でよくやっていただけました。

お世話になりました。準備期間も3週間くらいしかなかったですもんね。(笑

――今度は時間的な余裕がある状態がいいですね。で、お2人の往復の旅費なんかも出せちゃったらいいですね。

わぁ~、それはすごい!(笑

――それもこれも、私たちに届けられる曲次第だなと。結局そうなっちゃう。多くの人が「聴きたい!」と思ってもらってナンボですもんね。いい曲だなぁ~と思ってもらわないと、わざわざ時間とお金を使ってライブに足を運んでいただけませんものね。兎にも角にも、まずは2ndアルバムが楽しみです!それにドイツへも行けるといいな。

季節を選べば安いですよ♪ 2月とか11月とかオフシーズンが安い!反対に夏休みはとても高い。

――大好きな歌舞伎俳優の中村勘三郎さんがドイツで歌舞伎を興行されるらしいので、そのタイミングで遊びに行けないかと企んでおります。さてさて、最後に日本のファンの方々に向けて一言。

これからも色々つくるので、楽しみにしていてください!

――うん、シンプルでいいね!(笑 ありがとうございました。

ありがとうございました!(笑

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2007年12月 於:ベルリン、東京

1stアルバム「el fog reverberate slowly (moteer::010cd)」を見る

写真撮影:長島サクラ
取材・文:竹村 圭介

Keywords


el fogを知るキーワードをピックアップ。

keyword.01 「BON JOVI(ボン・ジョヴィ)」

アメリカ・ニュージャージー州出身のロックバンド。誰もが一度は彼らの曲を耳にしたことがあるはず。そのぐらいメジャーなロックバンド。まさかel fogのキッカケがBON JOVIだったとは・・・。HR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)雑誌『BURRN!』愛読者だった私としては、かなりの驚き。昔アップしていたホームページにも書いていたことがあるが、自宅のトイレで「HM」と書かれた便座カバーを見た時、実は母はヘヴィメタルファンだったのか!と一瞬嬉しくなったことがあるほどのHM/HRファンだった。ただし、当時の私はAEROSMITH(エアロスミス)にハマっており、BON JOVIは、el fogも認めるとおりアイドルポップグループとして敬遠気味だった。その後、el fogはエレクトロニカへ、私は歌舞伎へと進み、今TOKYOとBERLINと離れた場所でインタビューを行うに至るのである。HR/HM万歳。

keyword.02 「BERLIN(ベルリン)」

云わずと知れたドイツの首都。とか云いつつ、この記事を書き始めた当初、ドイツの首都は「ボン」だと思っていた・・・。(「ボン」は西ドイツの首都でした。)人口は凡そ340万人。これを機会に調べて知ったのだが、意外に少ないことに驚く。東京が多いのか。el fogは、ベルリンの元東ドイツ側に住んでいるとのこと。家賃なども安いらしく、こちら側にはアーティストが多く暮らしているらしい。1871年のドイツ帝国成立から1945年の第二次世界大戦の終結まで、ドイツ国の首都。戦後の冷戦時代には東西に分断され、1990年の統一以降、再び統一ドイツの首都となる。ドイツ最大の都市であり政治の中心地であるが、経済の中心地はフランクフルトとされる。ベルリン国際映画祭とかベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とかテクノとかクラブとか文化的。竹ノ輪が歌舞伎座がある東京で活動していることを考えれば、el fogが音楽をやるためにベルリンへ移るのも納得。

keyword.03 「graf(グラフ)」

世界的に活躍するアーティスト奈良美智氏とのコラボレーション「YOSHITOMO NARA + graf AtoZ」(2006年7月~10月、青森県)が記憶に新しい。このプロジェクトの巡回展がベルリンで開催され、そこでgrafとel fogが出会う。grafは、大阪を拠点に、家具・空間・プロダクト・グラフィックのデザインから食、アートにわたってさまざまなクリエイティブ活動を展開中。そのgrafが立ち上げた音楽レーベルが「AKICHI RECORDS」。レーベル第1弾作品として2007年10月3日にリリースされた13人のソロアーティストによるコンピレーションアルバム「RECITALS」へel fogが新曲を提供した。

graf(グラフ)
http://www.graf-d3.com/

Works


el fog ・ 藤田 正嘉さんが今までに制作された作品の一部をご紹介。

reverberate slowly (moteer::010cd)
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1.mountain dub
2.silent soaring
3.el cloud
4.the fog of the far small town
5.olive
6.lily
7.out woods
8.smoke and satellites
9.own frequency,own time

※視聴はこちらから。 http://www.myspace.com/elfog

1stアルバム「el fog reverberate slowly (moteer::010cd)」を見る

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版画

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版画

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版画

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版画

※版画作品画像は、実際の作品とは色合いなどが異なります。