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2009年09月10日

竹ノ輪インタビュー #6 末宗 美香子

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末宗 美香子 SUEMUNE Mikako / アーティスト


1972年生まれ。
2001年、東京芸術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。
2002年、第18回ひとつぼ展グランプリ受賞記念個展(ガーディアンガーデン/銀座・東京)。
他個展、グループ展など多数。

Persons第6回目は、アーティストの末宗 美香子さんです。

竹ノ輪では、末宗さんのカレンダーや作品集をお取扱いさせていただいております。

最近では、林真理子さんのエッセイの装丁画や、文芸雑誌『すばる』の挿絵も手掛けていらっしゃる末宗さん。今回は、末宗さんが、2008年に内田洋行新川オフィス内に描かれた壁画を拝見させていただいた後、インタビューをさせていただきました。

末宗さんの壁画作品と共にインタビューをお楽しみください♪

Interview


「キッカケはアンディー・ウォーホル。」
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――早速ですが、末宗さんが「絵を描こう!」と意識した頃のお話を伺えますか。

小さい頃から絵が好きだったという事もあるんですけど、具体的に「私は絵を描く人になる」とはあまり考えていなくて。子供の頃は、絵も描くけど、着せ替えを作ったり、塗り絵を作ることが楽しかったですね。

高校生の頃に美術を選択していて、まだ進路を決めていない頃に、アンディー・ウォホルの作品を知る機会があって、当時は自分の中でアートとか未だよく判らないんですが、ウォーホルの作品のデザインというか、色が格好いいな!と思ったのを覚えています。こんな作品が世の中にあるんだ!って。カラフルで、ポップアートで。そういうポスターっぽいものに憧れてグラフィックデザインに興味を持ちました。

――ウォーホルを知ったキッカケは?

姉がウォーホルの展覧会を観に行って、そこで手に入れた展覧会のカタログを観たのが最初だと思います。余りよくは覚えていないんですけど。

中学生の頃には、まだレコードジャケットがある時代で、そういうものやポスターが格好いいなって思う対象でした。中学生だったから格好いい雑誌とかは未だ知らない頃で。

そういう仕事に憧れて、デザイン系に行きたいなと。

――ウォーホルのあの手法は何でしたっけ?

シルクスクリーンですね。

高校生の頃、美術の課題として浮世絵をウォーホルっぽく作ったんですよ。その評判が良くて、学校に納めていただきました。今思い返しても、我ながら良くできてたなって。(笑 学校にまだあるかどうかは判らないですけど。

今思い出しても「よくやった!」と思うほど、下絵にポスターカラーでバリエーションをつけて色展開をしたんです。それが現在のように色を使う原点だったかも知れないですね。

作品は、肖像画的な感じ。人物があって、風景ではなくて、元絵は浮世絵の女性や歌舞伎のデザインを使いつつ、色展開をウォーホル的に。見せたいなぁ~、みんなに。(笑

自分の中では、かなりインパクトがあった作業。これいいなぁ~と思った作業でしたね。

姉が美術系の学校に進学していたのでアドバイスをもらいながら進路を決めたのは高校3年の頃ですね。

――お姉さんのおかげですね。

それはもう感謝ですね。美術関係の大学とかも、私はそんなに知らなくて。姉が色々知っていたのでとても助かりました。

――藝大のデザイン科をご卒業ですね。

たまたま高校の美術の先生が藝大の油絵出身の先生で、とても熱心な方だったんです。その先生が、いい予備校があるとご紹介くださって。私大コースもあったんですけど、絶対に藝大コースに行かないと上手くならない!レベルが違うから!とその先生に言われて。そうして浪人生に囲まれながら、浪人の道へ。

とにかく、描いていましたね。全然迷い無く。工芸とか油絵とか全く選択肢になくて、ひたすらデザインでしたね。グラフィックデザインがいいと思って。

予備校では地味にデッサンを描き続けていましたが、大学に入学したら色々な人がいるんです。私も四浪していたので、さぁ何をやろうかな、という感じになるんですよ。

デザイン科では、デザインをやろうと漠然と思ってたんですが、わりと自由だという話も聞いていました。映像やる人もいるし、パフォーマンスをやる人もいる、絵の人もいる。じゃ、そこで考えればいいかなって。

入学してから絵はあまり描いていなかったですね。グラフィックデザインって云っても、当時パソコンを全員が持っていない時代。大学ではスキルを身に付けるというよりは、何かやりたい方向が見つかればいいなと考えていて。授業も、実践的ではなくて、課題として「水をテーマに作品を作りなさい。」とかそんな感じでしたから。今描いているような絵の雰囲気ではなくて、抽象画だったりインスタレーションだったり。

大学3年生の最後の課題で、人物っぽいものを描いたら先生方に受けが良かった。「あっ!この路線で良いかも!」って。今までで一番いい、そんな感じですよね。そこからドンドン描いていたら、ドンドン面白くなって。それからは迷いなく絵を描いています。その間にもコラージュをやったり、版画もちょっとやったりしましたけど。

――それだけ色々やれたのは、やはり藝大に入ったから?

そうですね。制作する時間も沢山ありましたし。

――高校生の頃に制作された「浮世絵ウォーホールバージョン」はどうにかして観ることはできないのでしょうか?

完成品はないのですが、ボツになったものがあると思うんですよね。本当に良くやったと思いますね。何十枚って版を作って。とても地味なことをやりましたね。そう、やっぱり絵は苦じゃない。

――寝なくても苦じゃないという感じ?

いや、そういう感じでもないんですけど。(笑 ただその頃は、とにかく好きでやりたいことだったから。でも、徹夜とかはしないですね。眠い時には、寝るタイプです。(笑

「特別に「画家してる」っていう感じは今もない。」
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――話は戻りますが、藝大に入学して3年間は色々経験されたのですね。

何をやるかは漠然としていました。元々グラフィック系に興味がありましたし、立体は考えていなくて。絵を描いて、それを発表して、というのは入学当初には考えてもいなかったです。最後の卒展に絵を描いていて、その頃に、就職しないで大学院に行こうと決めました。

自分では、特別に「画家してる」っていう感じは今もないんです。

ちょっとデザインっぽくて、観ている人との間にコミュニケーション的な要素が盛り込みたいというのがどっかにあると思います。私にとって作品というのは、自分の思いの丈をぶつけるような対象ではないのでしょうね。

――絵を使った末宗さんなりのエンターテイメントなんですかね?

最近はよくそう思うかも。それでやっていくのは大変だろうし、良いキッカケもなかなか無いけれど、そういうことにも興味がありますね。そういう路線で繋がったり広がって行けたら面白いなと思います。

(浮世絵について談話中)

今思ったんですけど、ウォーホールと浮世絵を結びつけたのは、人を描きたかったからかも。役者の絵も好きだったし。そこをミックスしたのが高校生だったんでしょうね。

高校生の頃、クラス対抗音楽祭のTシャツデザインもやったんですよ。クラスのTシャツ。有名な女の人が描かれた浮世絵を版にしてみたり、ポートレイトっぽいのが好きだったんです。何でそう云うものに興味を持ち始めたのかは、判らないんですけど。格好いいな~って。江戸時代には興味がありますね。でも、歌舞伎はまだ1回しか観た事がないんですけど・・・。

――では、次の竹ノ輪浴衣、どうぞよろしくお願いします!

昨年着物を着る機会があり、単純に「格好いい!」と思ったんです。「粋」という言葉も好きで。「野暮」も好きだけれど、その辺のバランス感覚みたいなものが魅力的です。

――昔の人はセンス良かったんでしょうね。裏地とか競っていたようですしね。お洒落ですよね。

そういうの、やってみたいですよね~。

「ウルトラマンと怪獣に影響を受けた。」
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――お話しを戻しますが、大学院では人の絵を描いていたんですか?

描いていましたね~。人物だけど、宇宙人っぽいとか。人間だけど、そんなに人間らしくない絵を描いていました。

旅行で海外へ行くようになると、旅先で変な絵とかも知るようになって。それまでは浮世絵やウォーホールくらいだったけど、大学に入ってからはアウトサイダーアート(障害者、子供、素人が描く絵など)とかも観るようになりました。上手い絵にはあまり興味がなくて、ファンタジックな絵に惹かれていました。何でも、ちょっと不思議・・・不思議というのかな?上手く言えないですけど、そう云うものに。

――雑誌のインタビューで「ウルトラマンと怪獣に影響を受けた。」と仰っていましたね。

ユニークで、可愛いけどちょっと毒っ気があるものが昔から好きで、最近気になっているのがウルトラマン。その怪獣などもデザインをした成田亨(なりた とおる)さんが素晴らしいです。ただカタチが変って云うだけじゃなくて、造形的にも凄い。今でも大人気というのは納得できます。

何かインタビューって楽しいですね!色々なことが思い出される!(笑

――それはそれは、ありがとうございます。(笑 では、大学院の思い出は何かございますか?

海外に旅行が増えました。色々観たことで意識が広がったという思いがありますね。

――どのような国へ行かれましたか?

アジアが多かったですね。ヨーロッパはフランスだけです。目にするものの格好良さとか気持ち悪さとかが大好きで。街中に変な絵がいっぱいあるんですよ。(笑 有名な美術館にも行きますけど、そうじゃないチープな感じなものが好きなんです。

学生時代から続けていたデザイン事務所でアシスタントの後、大学で助手の仕事を三年間勤めました。大学院を出た頃から作家になりたいなと、何となくは考えていたのですが。

就職してデザイナーになるという考えは無くなっていましたね。絵を描き始めるようになってから、デザイナーとして働くのはちょっと違うかなと思い始めていました。

作家として活動すると、色々な世界が広がりますよね。人とも接するし。

「無理にどちらか1つに絞らなくてもいいかな。」
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――ここからは、現在の末宗さんのお話を。

今は、絵を描くのが仕事です。でも、画家という訳でもなく・・・。私はそういうのがハッキリしていないんですけど。イラストレーション的な仕事もしていますし。基盤は自分が描く絵が人に何かを伝えるっていう思いがあって、それで楽しんでもらえることもあるし。そう云うことに関わっていることが、自分が満足できることなのかも。「私は画家です!」「画家になりたいです!」って云うのとは、ちょっと違うかも。絵だけでやって行けたらいいなとの思いもありますが、そこに楽しむ要素があるのもいい。

と云っても、やっぱり両方ありますね。自分のコミュニケーションとして成り立つような絵だけじゃなくて、内面的な絵も好きだから。たまには「内面を出したい!」っていう時もあるし。でもそれだけじゃなくて、無理にどちらか1つに絞らなくてもいいかなって思っています。

壁画も描かせていただいたんですが、こういう表現も私に似合っているとも思います。色々やらせていただいて、最初は意識していなかったんですが、そう思うようになりました。自分の絵を見て楽しく思って貰えることが好きみたいです。

――林真理子さんの作品の装丁、装画は如何でしたか?

竹ノ輪さんのカレンダー展に出した作品でしたね。ああ云う展示も、いろんな人に観てもらえる機会ですよね。あれは絵じゃなくてグラフィックですが。不特定多数の人に観てもらえる身近なアート。絵って云うと、その場に観に行かないといけない感じがしますけど、書籍とかそう云うもっと身近なところから絵の楽しさが伝わると嬉しいです。

「あっ!」と思って貰えるような絵。そうやって気になるものって、そういう身近なアートだったりすることが多かったので。美術館にある絵だけじゃないなって。

絵を書き始めた頃には想像もしていなかったのですが、絵を通して様々な人との関わりが増えて行くんです。どちらかと言うと友達がそれほど多いわけではなくて。と言って、社交的でないということではない。私は、いろんなことを斜めに観ちゃう人なので、自分の作品が人との間に在ることで、色々世界が広がったり、絵がキッカケとなって自分を出してくれるものなんだなぁ~と思ったり。

「毒はないとつまらない。」
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――壁画も、観ている人が「ハッ!」と何か思ってくれているかも知れないし、実は観ているようで観ていないかもしれないし・・・。

そう云う面白さって感じますね。言葉の代わりに絵があって、会話してくれて、観ている側にも色々と思うことがあって。それらがコミュニケーションになるってことが凄いなと思ったことがあったんですよね。発表していく中でそう感じることが多くて。そう云うもので広がって、考え方も広がっていくし。

ちょっと驚かせたい、と云う思いもあるんです。だから癖っぽい(ひと癖ある)ものが好き、それをちょっと盛り込みたい。

――今回の壁画の中で、鎖が描かれた絵とか、ああいうの私は特に楽しいですね。一手間ある感じと云うか。それが好き。作品の中に言葉を入れ始めたのは、そう云う「癖っぽい」ことの現れでしょうか。

大学院生の頃に手書きのポスターを描きたいと思って。終了制作で手書きのポスターを制作したんです。それまで絵に文字は入ってなかった。ずっとオリジナルのポスターを作りたかった。グラフィックじゃなくて手書きのポスターを作りたかったんですよね。デザイン的なものも好きだったから。

で、ふと文字を入れてみたら、自分でも好きな感じになった。もともとポスター的なものが好きだったんですよね。絵と文字のバランスが好きだったんです。最初はそんな感じで、文字の中で皮肉を込めたり、毒を盛り込むこともできるし・・・(笑。

毒はポイントですよね。毒はないとつまらないっていうのがあるんですよ。ほんとそうだと思う。甘い餡子に塩を効かすとか、そんなのが好きです。

――文芸雑誌『すばる』の挿絵を描かれました。

あの仕事は「すばる」のアートディレクターから「人物以外も描いてみてください」というリクエストがありました。ちょうど壁画が終わるタイミングだったので、壁画もご覧いただいて。壁画の場合は、自由なテーマで制作しました。挿絵は、「人物以外も混ぜてください」って。柄的なものとか、雲とか、人じゃないもの。そう云うのを描いたのは始めてのことで、とても面白かったです。

挿絵は、原稿を読んでから描いているのではなくて、色々と描いた作品の中から、ディレクターの方が、原稿に合わせて選んでくださったようです。だから、私もページを開くまでは、どの作品がどうやって使われたのか全く知らなくて。「あっ!これ載っている!」とか、「あっ、意外。あれが載ってない。」とか、そういうことがありました。(笑

――あの挿絵は、観る方も、読む方も楽しいですね。最終的には何枚ほど描かれましたか?

100枚くらい描きましたね。大体が2~3ページの原稿で、1ページにつき15点くらいでしょうか。それを3ヶ月間続けました。カラーで描きましたが、紙面にはモノクロで掲載されたので、個展で原画を展示できて良かったです。

「もう、諦めています。(笑」
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――次の個展のご予定は?

いくつかのグループ展に参加と、個展を計画中です。

山形に住んでいる知り合いのギャラリーで展示をした際に思ったのは、まだオープンして3週間くらいだからお客様が来ないと思っていたら、意外とお客さんが車で来るんですよね。どこで聞いたか判らないような方もいらっしゃって。田舎って、話しが広がるんだなと、その時に実感しました。

逆に東京は情報があり過ぎるから、もし良いモノがあっても、そこに行き着かないで終わることがとても多いと思います。そんな田舎との差を感じると同時に、地方だから興味がないんじゃなくて、良いモノがあれば人は動くんだって判りました。東京だと逆に埋もれてしまうから、都会は良いようで悪いようで・・・。それもまた面白いなと思いますけれど。

――さて、これからの野望をお聞かせください!

色々やりたいんですけど、やっぱり私の絵がコミュニケーションツールとして、どれだけ広がっていくかを楽しみたい。何でしょう、表現の手法には垣根を作らなくてもいいなと。自分を活かす方法等は、今でも試行錯誤が続いています。

だから、肩書きは「画家」というか、「アーティスト」。何て云ったらいいかな・・・。何でもやりたいと思っちゃうんですよね。「何と云えばいいかな?」って思う時があって、基本は、絵を描いて、それを展開して行って、そう云う基本が一応はないといけない。何でもOKにして、色々な方向にどんどん広がってもいけないって云う思いもあって・・・。なかなか難しいんですけどね。

――これからの活動は?積極的に何でもチャンレンジ?

「何でも」は難しいんですけど。単に何でもやるというのとは違って、根本がないと出来ないと思っていて。と云って、その根本を全て見せるという事ではなくて・・・。何かこう中心になるものを確立して行かないと、色々なことはできないなと考えています。

――これからが楽しみですね。

ほんとそんな感じなんですよね。未確定と思いながらも、それもありかなって。私の人生観として。(笑

――決めつけたくないっていう?

性分ですよね。どうしようもない。もう、諦めています。(笑

――やりたくなったらやればいいと。それがたまたま壁画だったり。

タイミングがあえば浴衣も。「絵を纏う」って素敵だと思います。

――最後に、このインタヴューを読まれている方に、何かメッセージはありますか?

私は、作品が変わって行く事を怖がりたくないし、それでいいと思っているので、そういうところを楽しんで頂けると嬉しいです。色々と決め付けることはないなと思っているので。

――カレンダーも相当に拘っていますよね。文字も作っているとは思わなかったですもん。

文字を作る?!あっ!そう手書き!カレンダーの文字も全て手書きです!やっぱりグラフィックが好きなんですよね。

絵だけの作家さんだと、おそらく絵に文字は入れないと思うんですけど、私の場合は、デザインが好きだったというのがあるので。

――そのうち末宗フォントとか?

あぁ!フォントもやりたい!描くことが好きですね。

根本的に手を動かすことが好きなんですね。全然、苦じゃない。

あとは人を描きたいって云うのは、人に対して興味があるんだと思います。「わっ!仲良くなりたい!」という感覚ではなくて、どんな人も変わっているし、面白いと思う。

だって絶対「普通」ってない。その面白さたるや、どれだけのことかと。(笑

――どうもありがとうございました!

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2009年5月 於:内田洋行新川オフィス近くの喫茶店

末宗美香子のカレンダーを見る

写真撮影・取材・文:竹村 圭介

Keywords


末宗 美香子を知るキーワードをピックアップ。

keyword.01 「アンディ・ウォーホル」

(前略)ウォーホルは8歳で皮膚から色素を失った。綽名は「スポット」、つまりシミ夫くん。以来、ウォーホルはミスキャストを大事にするしかなくなった。ようするに「場違いのところにいるまともな人間」か「まともな場所にいる場違いな人間」かになることがウォーホルなのだ。

ウォーホルは10歳までは年に3回は神経衰弱に陥っていた。夏休みになると舞踏病にかかった。親父は炭坑に行っていて、あまり顔を見なかった。そういうことがあったからかどうか、ウォーホルには18歳まで親友がいなかった。それでやっとひとつのことに気がついた。誰も自分に悩み事を相談しないのだ。どうしたらそういう連中にこっちを見させるか。驚かせるしかなかった。毎日ポートフォリオをもって歩きまわった。グリーティングカード、水彩画、みんなダメ。喫茶店で詩の朗読もした。

結局わかったことは、みんなパーティが好きだということだ。だから黙ってパーティの準備をして、人に来てもらうようにした。何もできないから黙っていると、少しずつウォーホルが変人であることに人気が出た。「もう孤独でいいやと思ったとたん、取り巻きができたのだ」。パーティの会場をいちいち変えるのは大変だから、ちょっとしたスタジオをもって、そこによく来る奴は寝泊まりもさせた。ウォーホルは確信した、「ほしがらなくなったとたんに手に入る。これは絶対に正しいことだろう」(後略)(松岡正剛の千夜千冊 第千百二十二夜【1122】「ぼくの哲学」より一部抜粋)

keyword.02 「成田 亨(なりた・とおる)」

1929年~2002年 彫刻家。怪獣デザイナー。ウルトラマン及び初期のウルトラ怪獣をデザインした。

武蔵美術学校研究生時代に『ゴジラ』のアルバイトスタッフとして建物の石膏ミニチュア製作などに関わったのがきかっけで、特撮美術に携わるようになる。『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』では美術総監督を務め、『ウルトラセブン』では美術監督の立場で、数多くの怪獣のデザインを手がけた。ちなみに、封印されたウルトラセブン12話のスペル星人のデザインも成田氏の担当(シナリオは佐々木守氏)。

30年余り経った現在でも、特撮番組の分野で彼の怪獣デザインを超えるものはいまだに現れていない。美術的にはマリノ・マリーニやペリクレ・ファッツィーニ?、ジャコモ・マンズー?らのイタリア彫刻、ジャコメッティやピカソらシュルレアリスムの影響が指摘されている。

その後も映像関係に深いかかわりをもち、『トラック野郎』シリーズ(鈴木則文監督、東映)や『麻雀放浪記』(和田誠監督 東映・角川春樹事務所、1984年)といった、一般映画の美術も手がけた。

本業の彫刻の分野でも、武蔵野美術学校彫刻研究科在学中の1955年に第19回新制作展で初入選、1956年には武蔵野美術学校彫刻研究科を無事修了、日本万国博覧会・太陽の塔内部の「生命の樹」のデザインもたがけた。(はてなキーワードより抜粋)

keyword.03 「C-DEPOT(シー・デポ)」

「C-DEPOT」は絵画、立体、映像、メディアアートなど、様々なジャンルを専門分野とする同世代の若手芸術家によって構成されており、同世代であるが故に、共有する現代における問題意識を、それぞれの視点で表現しようと集ったグループです。

定期的に開催される「EXHIBITION C-DEPOT」は、メンバーにとって貴重な作品発表の場であるとともに、既存の枠組を超えた芸術家同士の自由な交流の機会にもなっています。ただ単発的に展覧会を催し発表するだけでなく、こういった機会を継続的に設け、まったく異なるジャンルの作品を展示し並べる事によって、お互いを刺激しあい、切磋琢磨し、芸術家としてのさらなるステップアップを目指します。

そして同時代に生きる人々に、新しい世代の芸術を体感してもらい、新鮮なおどろきと感動を提供するとともに、現代社会に潜む様々な要素に着目し向い合い、固定概念を取り払った新たな切り口で、芸術表現の在り方を提案していきたいと考えています。(C-DEPOT公式ホームページより一部抜粋)

C-DEPOT(シー・デポ)

Works


末宗 美香子さんが今までに制作された作品の一部をご紹介。

『美貌と処世』装丁画 (著)林 真理子