中澤 希水 NAKAZAWA Kisui (本名:中澤 元臣) / 書道家
昭和53年1月6日生まれ 静岡県浜松市出身
大東文化大学文学部中国文学科卒業
師・成瀬映山(文化功労者、日展参事)
暢玄書道会主幹
ATELIER 無礙(アトリエムゲ)代表
謙慎書道会評議員
Persons第3回目は、書道家の中澤 希水さんです。
中澤 希水さんには、現在「竹ノ輪カレッジ」で書道講座「書に触れる」という書道のお教室を開講して頂いております。初めてお会いした際には、お互いお酒が入った状態で、名刺交換時にご挨拶をさせていただいた程度だったのですが、後日お誘いいただいた恵比寿にあるBar05での展覧会にお邪魔してから、色々とお話しさせていただくようになりました。で、気付いたら竹ノ輪立上げ記念の竹ノ輪展や2006年12月のネイルチップと書のワークショップにご協力いただいたり、さらには竹ノ輪のロゴを書いてくださったりと、それはもうお世話になりっぱなしなのであります。感謝。希水先生は、ご両親が書道家ということで、生まれた時から「書」が日常にあったとのこと。一度「書」から離れて「ビリヤード」のプロになれるというところまで極めるものの、戻るべくして「書」の世界へカムバック。インタビューから半年経過した今、編集作業をしておりますが、熱いインタビューにモチベーションが否応無く上がります。(笑) インタビューと編集作業の間に半年という時が空いたからこそ、「時間」というのは目安でしかないのだと実感することになりました。
Interview
「現役で大学へ入るか中国へ飛ぶかの二者択一でした」
――ご両親共に書道家でいらっしゃる希水さんですが、実際に書道家としての道をご自身で決められたのは、どのような経緯だったのでしょうか?
覚悟したタイミングというのは、大学受験ですね。大東文化大学で書を学ぶというのが一番の優れた環境だったし、親が2人とも大東文化大学を出ているということもあって、大東文化大学の文学部を目指すことにしました。
進路は自分で決めました。他の大学は1個も受けませんでしたね。高校の先生は、併願をしろと仰いましたが、僕は大東文化大学に合格しなかったら中国へ飛ぶことを親と決めていたので。それで書道で行く!と決めて推薦入試1校の一発勝負です。浪人は全く考えてなかったですね。現役で大学へ入るか中国へ飛ぶかの二者択一でした。
12月頃、推薦で受かったので大東文化に入学して書道部に入りました。大学に入学し、東京へ出てきて、今の師匠(成瀬 映山氏)に師事させていただくことになりました。師匠というのは、自分でこの人に付きたい!という方にお願いしに行きます。もちろん断られる場合もありますが、今の師匠が私を受け入れてくださいました。
「『身体への染み込み方』が全然違う」
――絵も書もお好きですよね。その中で「書で行く!」と決めたポイントは何だったのでしょう?
大きく云うと、「身体への染み込み方」が全然違うのが自分で判っていました。
――「染み込み方」って凄いですよね・・・。
それは、う~ん、何と言葉で説明していいか難しいですね・・・。(笑)
――いやいや、何だかわかる気がします。(笑)
感覚的なものなので。(笑)
――でも、伝わりますよ。何か、こう、もう、カラダに、しみこんじゃってるんですよね。(笑)
そう、しみこんじゃってるんです。(笑)
「むしろ、よりモチベーションが上がっている」
――大学へ入学したあとの活動は?
大学在学中に上海のフクタン大学(※1)へ書道留学をしました。毎日、中国の書道の先生から授業を受けたりとか、とにかく大学時代は書道漬けの生活でしたね。
――子供の頃から漬け込んだ上に、さらに漬け込んだと!
はい。さらに書道漬け生活になってました。(笑)
――どのぐらいの間、中国へ行っていたのですか?
中国の大学に留学していたのは、春休みの1ヶ月ぐらいですね。あと中国は、高校の頃から度々旅行で行ってました。
大学を無事4年で卒業したあと、小さい頃からずっとやってきて、大人になって色んなものを見るようになって、本当にこのままでいいのか?と迷いだしたのもそのぐらいの時なんで。簡単に云うと、それで悩み過ぎてしまって、筆を持つのが嫌になって。実はそこからの3年間は、ほぼ筆を持っていないんですよ。本当に持たなかったです。悩み過ぎちゃって。その原因について話をすると、それだけで本が書けるぐらい長くなっちゃんうんですけど。(笑)
兎に角、ずっ~と突き詰めてやってきたものが、プツっと自分の中で切れちゃって。切れてしまってから筆は持ちませんでしたが、自分の中には「きっと、また書に戻る自分」というのが、筆を持たないなりに見えていました。じゃぁ、今は持ちたくないけれど、今の自分は何ができるか?と考えて、技術的なものよりも感覚的なものを磨いておこうと思って。その時期に絵を描いたり、絵や写真を観に行ったり、とにかく本を読んだり。書以外のところから今のうちに吸収しておこうと思って、意図的に他のことに集中していました。
そうやっていく中で、やっぱり自分の体の中とか、DNAの中に染み込んでいる書って云うものに確信が持てて、20代後半になって将来のことを考えたときに、やっぱり自分が一生続けていくのは書しかないなという思いがあって、奮起して。それが今から2年前ぐらいです。
――あらためて筆を持ったときの感覚は如何でしたか?
僕が人生の中で、自分の記憶にもないのだけれど、親父がオレに勝手に筆を持たせて書いた満一歳の時の作品(?)から、その後ず~っと2歳、3歳と書初めでだんだんと大きいものを書いてきて、1歳から23歳まで筆から離れたことがなくて、そこでいきなり3年離れて、もう1回奮起した時に、最初に思ったのは、「予想以上に筆が使いこなせてない」というか、腕と別物で、神経が筆の先までいっていない感じがあって。それがある程度想像していたものを遥かに超えていて、これはヤバイ!と思いました。
2年前にまたやると奮起してからの1年は、逆に今までの人生で持ったことがないくらい筆を持ちました。今までにないぐらいに書き込みました。まるで猿のように。(笑)
――まず1年は、ひたすら猿になったと。(笑) 今はどうですか?
今はもう全然。むしろ、よりモチベーションが上がっているのが実感できるぐらいなので。
――現在の活動ですが、書道のお教室とそれ以外には?
教室は、浜松、恵比寿、白金の3箇所でやっています。(※現在は、新宿でも竹ノ輪カレッジとして開講中)あとは週1回で母校(興誠高校)の書道コースの非常勤講師をやっています。(※現在は、非常勤講師はされておりません。)
――個展とかは?
そうですね、個人的に制作している作品の展示会と、師匠の下で制作する年3回の大きな公募展ですね。春の謙慎書道展、夏の読売書法展、秋の日展ですね。
「言葉は要らない」
――書道家をずっと続けられていて、やっていて良かったこと、幸せだなと思うことって、どんなことですか?
自分の作品に関しては、恐らく自分はこれで満足だっ!っていう最高のものは書けないと思っています。むしろ満足したら作家としては終わりだと思っているので。
でも、それが判っていながらも、展示会など決められた〆切までの限られた時間の中で、自分がどれだけのものを創れるか?というのが毎回必ずあるので、作品に関してはそうやって決められた日時、時間で創っていく中で、どこまでイメージの中にある自分が創りたいもの、伝えたいものが現せている作品がつくれるかっていうのが重要なので、それに近いものが生まれたり、書けた時っていうのは、やっぱり気持ちがいいものです。
でも、それは後々年月が経って見ると自分としては恥ずかしい作品にはなりますが、とにかく今の自分の頭のイメージを紙に落とし込めた時っていうのが楽しいですね。逆に頭の中でイメージしていたものよりも、偶然生まれた凄くいい線がひけたときなんかも嬉しいです。書は書き直しのきかない一過性の芸術だから、そういう偶然生まれる線も在り得るんですよ。でも、その偶然生まれるいい線というのは、結局は日々の鍛錬の中でしか出てこないと思っています。
あと書は、お教室とかで教えたりしていますが、そういった実用性というか情操教育という面も兼ね備えているものだから、教える側としては、生徒さんの成長を直に感じられた時とか、自分が思っている以上のものを生徒さんが書いてくれた時とか嬉しいですね。書道のよさを伝えるのも使命だと思っているので。目に見えてくると嬉しいですね。実際にやっている生徒さん本人は、自分のことだからあんまりその変化が判らない場合が多いのですが、やはり最初から自分が教えてきた人が時間を経て、ずっとその成長の過程を第三者として見ているので、凄く嬉しいし、教えていてよかったと思いますね。言葉は要らないというか。取り組む姿勢だったり、つくったものだったりを見ることで、そういうのが伝わってくるので。
「手書きの文字の力」
――今楽しいですね!
そうですね、楽しいですね!
――「ですね!」って、私が決めることじゃないですね。すみません。(笑) さて、これからは何をしていこうか?というところを伺えますか。
引き続き、作品をつくることとか古典の勉強だったりとか、あと教えることも、全部において今までの経験や積み重ねてきたものを使って人に伝えていきながら、書は一生修行なので、満足することなく勉強し続けていかなければならないですね。
あとは、竹ノ輪さんとかを通してやりたいと思っている事は、伝えていきたい伝統的な部分は必ず継承して、守りながらも、今のインターネット社会でつくれるもの、新しくつくれるもの、先人たちの発想では生まれ得なかったものを、今は模索している段階です。新しいことをやることによって、伝統的で敷居の高いと思われている書道の間口を一般の人にどうやって広げていけるかというが今のテーマです。
その間口を広げるという一番オーソドックスなパターンが書道教室だけれど、結局それは今までもずっとやってきているし、これだけインターネットが普及している現代だからこそ、新しい伝え方とか見せ方が他にもあると思っています。
――新しいキッカケ作りですね!
そうですね。間口を広げてあげることですね。日本人の人達ってみんな書道を知っているし、漢字文化だからこそ書道って云われると凄く間口が狭いっていうイメージがあるのだけれど、冷静によく考えたら、書道なんてみんな小学校のときに筆持ってるし、習いに行っていたという人も一杯いるし、実際生きていれば漢字や平仮名を書くし、これだけPC隆盛の時代になっても、結局文字を選び出すのは自分です。
そういう意味では文字からは絶対に離れられない人種ですよね。逆にそういう時代だから、手書きの文字の力、人が顕れる(あらわれる)手書きの文字の力っていうのが、インターネットが便利になればなるほど大切になってくるはずなので。
――確かにそうですよね。日本って、本当に身近なものほど何だか敷居が高くて、とっても遠い海外から来るものに、バカバカお金を使うっていう。(苦笑
「だから」なのか、「でも」なのか、判らないですけど、和洋比較したときに高価なのは、やっぱり和物なんですよね。こういった時代ですから。スーツより着物の方が高価だし、建築だって日本の古い建築の方が、海外の建築と比べたら、木材ひとつとっても、とんでもない値段ですよね。
「生きていく上で役に立つ」
――さて、そろそろまとめに入っていきますが、書道家として間口を広め、敷居を低くし、みんなに伝えたい!という、その伝えたい根っこというのは何でしょう?どんなことを感じて欲しいですか?
「書」=「文字を書くこと」っていう簡単なことなんですが、そこに「道」を付けて「書道」にした日本人(ちなみに中国は「書法」)は、字を書くことに精神性までも見出して、創り上げてきました。単に「文字を書く」という行為なのだけれど、姿勢がよくなったり、落ち着きを取り戻したり、集中力がついたり、生きていく上で役に立つとか、必要不可欠な人間の情操の部分に役立っているということを、意外と忘れがちなんですね。
茶道とか華道って、書よりもっと日常から掛け離れたイメージがあるから、何となくそういった部分もみんな感じていると思うんだけど、書というものはそれらに比べると、もうちょっと日常に近くて。「文字を書く」っていうことに関しては万人がやっていることだから、余計に見落としがちなところがあるので、そこまで伝えられたらなと思ってます。なかなか難しいとは思っていますが。
――感じることっていうのは、経験している人の問題なので、僕たちができるのは、そういうことまでもイメージしながら、チャンスを広く提供していくことですかね。
はい。そうですね。
――毎日1回は笑って欲しいっていう。ただそれだけなんですよね、竹ノ輪は。それでみなさんの取り組まれている手段が、書であったりイラストであったり言葉であったり作品であったりしていて。そういうものに触れて、感じてもらえたらいいですね。こころに優しいというか、綺麗というか、ちょっとスッキリするといいなっていう。小さなことにストレス感じていないでさ!って。(笑)
そこに一役かえればってことですよね。(笑)
「何の妨げも無く自由である様」
――さて「書」を目指す人、習う人、後輩達にメッセージを!
メッセージを向けていく方向性によって全然違いますね。(笑) ほんとに僕みたいに書家になりたい人間に云いたいことと、一般に仕事をしながら書をやりたいとか、純粋に字が綺麗になりたい人に伝えることは全く違うので・・・。
――そうですよね~。では、希水さんに近しい方たちに向けてのメッセージを!
作家としてですか。う~ん、そういう人に伝えたいのは、兎に角アンテナを張ることと目習い(※2)の重要性を云いたいですね。アンテナっていうか、視野を広く持って欲しいですね。ただ視野を広くしていても、インターネット社会で情報が次から次に入ってくる中で、どこを掻い摘む(かいつまむ)かっていうのが一番大切で、その掻い摘むところは感覚的な部分なので、その部分を間違えないというか。そのチョイスする感覚を磨くということが、普段からどんなときでもアンテナを張っておくということに繋がると思うのですけれど。
アンテナを張って10のものが入ってきた中で、果たして10の中のいくつを自分の中に取り込むのか?これは必要、これは不必要っていう。でも、そのとき必要ないって思っていたものが、5年10年したときに凄く必要なものかも知れないし。それは結局は時間が経たないと判らないんですが。
まぁ、視野を広く色々情報を入れることと、引っ張り出してくるのは自分自身の感覚だから、そういう意識を常に、書をやるときだけじゃなくて、生きている間はずっと、何をしているときでも、そういった感覚がないと。
――今なんて特にそうですよね。ボーっとしていると、グアァー!と情報に流されますからね。コマーシャル世代、消費世代にずっぽりとハマってきた世代が親ですからね。次に、希水さんのファンに向けて!作品を観てくださる方々に対してお願いします。
観てくれる人は千差万別なんで、兎に角、観た人が感じたいように感じてくれればいいと思っています。
あと書は、絵とかと違って言葉を使っているので、書としても観て、言葉としても観て、その言葉から感じることも、みんな感じ方とか捉え方が違って、そこが楽しむポイントでもあるので、そんな風に楽しんで欲しいですね。
――やっぱり感じてもらえるスイッチ、感じてもらえる仕掛けが必要ですよね。世界に向けて竹ノ輪から新しい仕掛けを発信したいと思っております。頑張ります。
結局、こうやってインタビューを通して、トータルで自分が伝えたいことを考えたときに、一番集約されているのが僕のアトリエの「無礙(むげ)」という言葉ですね。禅語なんですけど。「無礙」そのものの熟語の意味が「何の妨げも無く自由である様」なんですね。
結局それが自分の作品につくりに関してもそうだし、教えることとか、これからの人達への視野を広くというアドバイスとか、結局それに集約されているので。
「僕の恋バナ」
――さて、最後に竹ノ輪にメッセージを!
竹ノ輪にメッセージですかっ!?(笑) う~んと・・・。僕がこれからやりたいと思っていることや、動こうと思っているタイミングや、TAKEさんとの出会い等、兎に角全てのタイミングとフィーリングと縁が重なって、こういうカタチになったので。
TAKEさんは動かしていく方なんで大変だとは思いますが、僕が書を通して竹ノ輪にお役に立てることは、僕側からの制約は一切ないので、さっき云った間口を広めるという意味では、共にやっていければと思っています。「よろしくお願いします。」の一言です。
――いやぁ~、嬉しいです。ありがとうございますっ!(かなりチカラ込め気味) こうやって改めてお話しを伺っていると、向かう場所は、近いなと勝手に感じているので。だからこそ色々とお願いしている訳ですが。あとはもう「どうやるか?」だけなので、そこではお互いバトルしながら。(笑) 今後ともどうぞよろしくお願いします。今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
――では、ここから(ビデオカメラの)スイッチオフで。
じゃぁ、こっから3時間は僕の恋バナで。(笑)
・・・このあと、男2人の本気モードな恋バナの収録が続きますが、非公開とさせていただきます。ご了承ください。下の写真は「本気モード」面の希水先生。「ヤラセ」です。(笑)
2006年12月 於:東中野某所
※1:フクタン大学。「フク」は、「復」のギョウニンベンがない。「タン」は、「旦」。
※2:「手習い」「目習い」の「目習い」。感性を磨く目習いが重要。目習いあっての手習い。
※お教室でお手本を書いてくださっている場面を撮影したため、朱色の字ばかりが掲載されていますが、希水さんが常に朱墨を使う訳ではございません。ご注意ください。普通の黒い字を書かれます。詳しくは、Worksをご覧ください。
協力:Atelier 無礙
写真撮影:赤川 真理、竹村 圭介
取材・文:竹村 圭介
※お教室の開催状況は、インタビュー当時と変更になっている場合があります。詳細は、Atelier 無礙のホームページなどでご確認ください。
Keywords
中澤 希水さんを知るキーワードをピックアップ。
keyword.01 「ビリヤード」
ご両親が書道家でいらっしゃる中澤 希水さんが、生まれて物心つく前から筆を持つことが日常だった中で、23歳から3年間、筆に触らなかった時期がありました。その間、持っていたのがキュー。そう、ビリヤードです。伺った話によると、プロ試験を受ければ合格間違いなしの腕前だったとか。ひとつのことを極められる能力を持った方は、何をやっても、その本質を理解し、その一点に集中して自分を磨き上げる力があるように思えます。希水さんのお話を伺っていると、何事も「自分との闘い」に尽きることを痛感します。
keyword.02 「成瀬 映山」
希水さんが尊敬して止まない師匠。1920年の大正生まれ。1950年、青山 杉雨に師事。1987年日展内閣総理大臣賞受賞。1992年恩賜賞・日本芸術院賞受賞。1995年謙慎書道会理事長。2002年(平成14年)文化功労賞を受賞。現在、日展参事、読売書法会顧問、謙慎書道会最高顧問、槙社文会代表、現代書道二十人展メンバー。なんだか凄い肩書きが並んでいらっしゃるので、私がご紹介するのも恐れ多いのですが、希水さんから伺っているお話しや、作品集『成瀬映山作品』の発売を記念して銀座で開催された個展で拝見した作品の数々や、その個展で出版社の方から伺ったお話しや、ネット上でチラチラと拝見する先生のお写真などから、そのお人柄をまとめると、そのお人柄に周りの方々が惹かれているようです。とっても凄い方なのに、普通のお爺ちゃんのような。まだお会いしたことはありませんが、中村又五郎さんから受ける印象に近いのではないかと勝手に推測しております。凄いのに普通。否、奢らず、常に優しいからこそ、凄いのでしょう。もちろん「優しい」というのは、甘いという意味ではなく。
※成瀬映山氏が、2007年7月16日に他界されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
keyword.03 「書に触れる」
竹ノ輪カレッジで希水先生が開講している書道講座。「良筆は一生の宝」というコンセプトで、単に字を綺麗に書くためのお習字ではなく、「書道」に触れていただくことを目的として、古典を通して学習しています。とは云っても、そこは「竹ノ輪」ですから、伝統文化に触れるにしても、あくまでも気楽に楽しもうという訳で、和気藹々且つ真剣にみなさん書道に取り組んでいらっしゃいます。詳細は、竹ノ輪カレッジをご覧下さい。
Works
中澤 希水さんが今までに制作された作品の一部をご紹介。
慶雲
2005 ケイウン 680×350 mm
縁起の良い雲
郷
2005 キョウ 350×500 mm
無事
2005 ブジ 275×365 mm
自己本来の心に返った安らかな状態
陽
2006 ヨウ
懐
2006 カイ
・書道家 中澤希水さん関連のリンク先一覧は、タケノワノブログ【ご案内】書道家 中澤希水さんのまとめをご覧ください。
・書道家 中澤希水さんの2回目のインタビューは書道家・中澤希水個展「希水展」サイトをご覧ください。