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2009年06月16日

竹ノ輪インタビュー #5 wato

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wato / イラストレーター・フードコーディネーター・管理栄養士


1975年岩手県出まれ 東京都在住
大妻女子大学短期大学部食物栄養専攻 卒
パレットクラブスクール4期イラスト基礎コース 卒(現 スタッフ)
日本フードコーディネーター協会会員

病院での栄養相談、飲食店でのメニュー開発等を経て、フリーに。現在は雑誌、新聞、WEB、ラジオなどでイラスト掲載やレシピ紹介をする他、「wato kitchen」として イベントへのケータリングをしています。

○好きなもの・・・

とろとろ、ぷるぷる、ふわふわ、ほげほげ、もふもふしているもの。(食べるのも~♪さわるのも~♪)

○将来のゆめ・・・

おいしい!たのしい!からだにいい! を提案&実践し続ける かわいいおばあちゃんになること。家族やまわりにいる人がみんな健康でハッピーであること!

○座右のめい・・・

わらうかどにはふくきたる

watoさんのブログ
wato kitchen food & art = happy !!

Persons第5回目は、イラストレーター・フードコーディネーター・管理栄養士のwatoさんです。

watoさんと私のパートナーであるtokiさんが出逢ったのが築地にあるパレットクラブスクール。その時は、tokiさんが生徒で、watoさんはパレットのスタッフさん。私自身は当時のwatoさんとは一切絡みなし。その1~2年後、ケータリングサービスCUELさんのイベントへ伺った際に、はじめてwatoさんとご挨拶。

それから更に数年後のこと。毎夏開催していた「みんな浴衣で納涼大歌舞伎」で多勢が一度に食事をするためには、事前にメニューを伺ったり、お店の予約をしたり、さらに観劇当日、とても混雑している歌舞伎座内を着慣れない浴衣で移動するには時間が必要で、ゆっくりと食事の時間が取れなかったことなどから、事前にお弁当を用意することになり・・・。そこで、最初に頭に浮かんだのが満面の笑みを浮かべるwatoさんだったことは今更申し上げるまでもございません。

当初、消極的理由で検討していたお弁当が、瞬く間に積極的なものとなりました!と言っても、watoさんとはイベントで少しお話しをさせていただいている程度、それにきっととてもお忙しくなさっていることでしょう・・・。でも、お弁当をwatoさんにお願いしたら今まで以上に楽しい夏になる!参加者の方々もきっと喜んでくださる!という思いで図々しいお願いしたところ、OK!のお返事をいただいて、2007年大好評の「みんかぶ弁当」が生まれました。

実は今年2008年の「みんかぶ弁当」はwatoさんにご紹介いただいた方にお願いする予定でしたが、歌舞伎の演目と関連付けされた食材やお料理が詰まった楽しくて美味しい「みんかぶ弁当」をまた食べたい!というお声が多かったことと、私がまた食べたい!という理由で、再びwatoさんにお願いすることに!

「watoの作り方」(敬称略)と題するに相応しい過去最長のロングインタビューを”のんびり”と、”ほんわか”とお楽しみください♪

Interview


「生まれてはじめてしゃべった言葉は『おいしいね♪』」
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――さて、早速ですが、物心がついた頃には何をされていましたか?例えば、小学生の頃から食べることが好きだった、とか。そんなところからはじめましょうか。

これは聞いた話しなんですけど。私が初めてはっきりとしゃべった言葉が「おいしいね♪」だったらしいんですよ。「あ~」とか「う~」と言っていた頃に「おいしいね♪」って。たぶんそれはママが離乳食を「おいしいね♪」「おいしいね♪」と言いながらあげていたから、それを真似したんだと思います。食べ物をとおして子供に話しかけて、愛情を注いでいた親だったんだなぁ~と後になってとても感じるんですよね。ちっちゃい子って、オウムみたいですよね。(笑

小学校の頃から将来の夢について作文を書きますよね。1、2年生の頃の作文は覚えていないんですけど、3、4年生の頃は「ハンバーガー屋」さんになるって作文に書いていました。当時、田舎街にドムドムバーガーが出店して、なんかもう楽しくてしょうがなかったから。(笑 小学生ではお店に通えないけれど、文化祭でそのハンバーガー屋さんが出店していて、食べたくて食べたくて仕方なかった。担任の先生にずっと食べたい、食べたいって言ってたから覚えてるんです。(笑

そして5、6年生になったら「ケーキ屋」さんで、中学生になったら「パン屋」さんをやると思っていたの。高校生の頃も「パン屋」さんかな。お家でママと2人でパンを焼き初めていた頃だったのね。かなり本気でパン屋さんになろうと盛り上がっていたの。とにかく、食べ物に関わることをしたいなと思っていました。

――お母様の影響が大きいようですね?

私のフード側のルーツ(イラストレーター側のルーツもあり。後述。)は、薬剤師のママなんです。薬剤師は栄養学を勉強しているから栄養素にも詳しくて、そしてお料理が大好き。いつも手の混んだものを作っていましたね。忙しく働いていたけれど、お料理の手は抜かない人でした。

たとえばカレーを作り始めると、出来上がるまでに4日くらい掛かるの。牛テールを煮て、ブイヨンひいて、1日置いてから固まった油を除いて、それから野菜を入れて、スパイスを入れて、って。あとは、煮物が得意だったので、いつも台所で何かをコトコト煮てる。休日のお家の匂いはイチゴジャム。あと私が「プリンが食べたい!」と云うと、次の日の冷蔵庫には大きなプリンがあったり。(笑 中学校と高校の頃のお弁当も冷凍ものとか出来合いのウインナーとかは入っていなくて。私は、そういうのが食べたくて友達と交換して食べてました。(笑

ママは、料理が好きだし、こだわるし、研究熱心な人ですね。栄養学に詳しい人だから、食卓に出てくる料理を栄養素で呼ぶんです。例えば「かぼちゃの煮付け」だとすると「はい、今日はカロテンの煮付けよ♪」とか。ホウレン草だと「緑黄色いっぱい食べなきゃね♪」「カルシウムも足します♪」と言いながらそこにシラスをふりかけたり。青魚にはエイコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸が入っていることも、ブームになる何年も前から知っていました。食卓に上がるもの全てを栄養素で言われてたから。そして、食べると美味しい。美味しくて、さらに身体に良い。体に良いものが美味しいのってラッキーだなぁ~って思ったの。

ママが読んでいた「医食同源」も読みました。「医食同源」の意味を教えてもらって、感動したんだよね。本当にそうだ!カロテンの煮物は美味しいだけじゃなくて身体にも良いんだ!って。そうして、料理するだけじゃなくて、栄養素の方にも興味が向いて。その頃、高校の生物の先生が解りやすい栄養学の本を貸してくださって、それからすっかり栄養学にハマってしまって。それで「栄養士」という資格があることがわかったので、大学は栄養学を学べる学校を目指しました。

「理系の眼と文系の眼」
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――では、パパは?

パパは元ミュージシャンで、今はジャズ喫茶のマスター。パパとママは昼からのお仕事だったから、私が学校へ向かったあとに、ママがゆっくりとお弁当を作ってくれて、パパがお昼ごろに下駄箱の上にお弁当を置いてくれるの。だからお弁当は、いっつもホカホカ。(笑

――それは超贅沢だ!(笑

私が通っていいた高校とパパのお店が近かったから、お昼にお店へ行く途中に私の通う高校へ寄って。しかもね、職員室から正門に入ってくる車が見えるわけ。パパは当時フェアレディー2000っていう日本に3台くらいしかないような古いオープンカーに乗って来て、この車の音が凄いの。「ボボボボボボォ~!」って。廊下に出ると「watoちゃんのお父さん来てたよ!」といろんな先生に言われて。職員室で、ちょっと有名。(笑

パパは芸術全般に視野が広くて、懐が深い。プロとしてやるにはとても厳しい目を持っている人なのだけれど、寛容で。私は、鍵っ子で1人っ子だったから、ひとりの時間には大抵は絵を描いていたのね。そう、シャボン玉を飛ばすか、絵を描いていたの。その絵を観たパパは「上手だね~♪」「もっと描け♪」「もっと描け♪」と云いながら紙を渡してくれたの。その調子で描き続けて、現在に至ります。(笑 そう言えば、パパ自身も絵を描いてたみたい。

だから、文系の血はパパにもらって、理系の血はママにもらったのかな。栄養学の受験科目は文系も理系も扱うから、ちょうど真ん中をもらって良かったのかも。

そんなパパとママは、両極端なのね。私が小さい頃、コインを触って遊んでいたら、ママは「汚いからやめなさい。」と。理系の研究者だから、物事を顕微鏡の眼で見るんだよね。ママの眼にはコインにびっちりくっついている細菌が見えているわけ。空中飛来菌とかも見えちゃう。そうするとパパが「そうだよ。お金はね、心の汚い人が触るんもんだから汚いんだよ。」と文系で切り返す。ひとつの物事に対して2人の見え方が違うのね。理系と文系の眼。

――細菌と心を「そうだよ、」でひとまとめにされちゃう。子供としては少々難しそうですが、でもその分だけ早く大人にもなりそう。(笑

そうですね。家ではいっつも2つの見解が飛び交っていましたから。(笑

たとえば、パパはお食事が終わったご飯茶碗に米粒が付いていると、そこにお水をちょっと入れて掻き混ぜたら「スズメさ~ん♪」と庭に撒く。するとママは「やめて~!糞だらけになる~!(怒」と。「細菌」対「浪漫」です。(笑

――今できることを考え、まずは学問的に学べることとして「栄養学」を選ばれたとのことでしたが、大学での勉強はどうでした?

かなり楽しかった!頭の回転が良かったピークは短大の2年間。中学高校は勉強してないし、できない。「できない」って云うのは、好きな科目しか勉強しない癖があったから。(笑

中学生の頃は数学を勉強した記憶がない。高校に至っては、「国立文系」コースだったのに、受験科目は「私立理系」。担任の先生に「センターを試験受けろ!」って怒られて、喧嘩したこともありました。田舎の学校だったから、国公立合格者でその学校のランクが決まってしまう。だから、兎に角センター試験を受けさせようとしていたのね。

私は生物が好きだったから、理系の先生と仲良くなって。受験間際は古典・漢文・社会とか文系の授業には出席しないで、理系のクラスに潜り込んで蚕の解剖とかしていたの。今思い返しても、どうしてそういうことが出来ていたのかわからないんだけど、何故か生物の授業に出ていた。「ん?watoいるの?」「受験、生物でやりま~す!」そんなノリ。(笑

成績は、社会が200人中、下から1桁。でも生物は、理系コースの学生を入れても上から1桁だった。そのくらい極端。そのくらい好きな科目しかやらなかった。(笑

そんなこんなで入学した大学は栄養学の専門学部だったから、すべての授業が面白くて仕方なかった。一般科目は10科目くらいあって、残りは全て専門科目。すごく楽しかった!かなり勉強していましたね。栄養士免許が2年間で取れるコースでしたが、課題がとても多くて、中でも食物栄養専攻は単位数が一番多い。単位が多いからレポートは1週間に8個とか。どうせ書くなら「完璧に!」という勢いでレポートを書いていました。栄養学の学校を選んでよかった。とても充実していたから。

「医食同源の実践」
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――イラストはいつ頃から?

イラストはまだ先なの。遊びでは描いているんだよ。本格的な登場は、もうちょっと先かな。

大学を卒業した後は病院に勤めたかったの。高校の頃には「短大出た後、病院に行こう。」ってある程度決まっていたの。なんで病院かというと、フードに興味を持ったキッカケが「医食同源」という言葉だったから。それを一番身近に体感できる職場は、臨床、病院。他にも栄養士の就職先はいろいろあったけど、病院に行きたくて、就職活動は病院だけに絞ってました。ここでもまた、好きなことしかやらない癖が。(笑

病院の採用は、秋以降に募集が始まって、冬以降に内定が決まるの。私の内定が決まったのは多分クラスでビリだったんじゃないかな。食事療法に力を入れている病院が良いと思ったし、そうじゃないと意味がないしね。当時聞いていた話では、日本は他の国と比べて栄養士の地位が低くて、資格を持ったとしても給食のおばさんのような扱いをされることが多いらしいと。(※編注 「給食のおばさん」の地位が低いということでありません。栄養士の仕事と給食を作る仕事の違いが世間に浸透していないということ。)だから病院ガイドを買ってきて、食事が治療に関係する病気はいくつかあって、糖尿病、腎臓病、高血圧、肥満・・・とか、そういった病気のランキングが高い(そういった病気の治療に力を入れている)病院に片っ端から電話していったの。栄養士としてのやりがいは、そういう病院の方があるんじゃないかなと思って。

そうして糖尿病に強い病院に内定が決まったの。そこは先生と看護士さんと栄養士がひとつのチームを組んで、1人1人の患者さんにカウンセリングする病院。そこで働いている間に「管理栄養士」の資格を取りました。

――病院での仕事はどうでした?

患者さんの人生を背負うから、カウンセリングしてて重くなりますね。

――好きで好きで突き進んできたんだけど、「はっ!」と突き付けられるところまで来ていますよね、病院って。

その当時は、無知故に事の重大さに気付いていないのね。今振り返ると、楽しいだけでやっていた面があった。今となっては、もっと深く考えなきゃいけなかったような気も…。

――好きなことを突き詰めたから、命と関わるところまで辿り着いた。それに気付いて悩みが増えたとしても本当に好きだから続けられた?

そこまでの苦悩はなくて、充実したステップアップの繰り返しの4年間。与えられた仕事に対して不満を云うとか、そういう考えがなくて、与えられたことをやることに楽しみがあるみたいな。今思えば、純粋だったね。(笑

単純に、ちょっとづつ仕事が出来るようになることが嬉しいし、目の前のことを一生懸命にやって、先輩に褒められて、嬉しくて。かなり充実してましたね。全力で取り組む仕事が生活の中心だったし。災害が起きたら病院へ駆けつける事を常に考えていました。何の迷いもなく。災害時は、あれして、これしてって。

「オリーブ少女の転機」
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――病院で4年経過して何かしらの転機が訪れたのですか?

実際に転機が訪れたのは3年目。当時「オリーブ少女」(※1)だった私がある日いつものように『Olive』を読んでいたら、そこにパレットクラブの広告が掲載されていたんですよね。しかも、その号の表紙は、大好きな吉田美和ちゃんだった。ふん♪ふん♪と。(笑

病院である程度納得できる仕事ができたら、次は絵に集中してもいい。それは高校受験の頃には既に考えていた未来だった。パレットクラブの広告を見てそれを思いだした。でも、すぐに仕事を辞められるだけのお金がないし、それに覚えていない仕事がまだあった。それで、あと1年でお金を貯めて、納得するところまで仕事をやろう!悔いの残らないように!と。その広告を見て、こっそりと1年後に辞めることを決めていたの。パレットクラブの授業は夜だけど、病院の仕事は夜勤・当直・早番があるから、両立は難しかった。だからパレットクラブに通うなら、病院は辞めようと決めたの。そうして最後の1年を過ごして病院を退職しました。

――まさに「転機」ですね。半年間悩んだ時期とかはなかった?仕事が充実していた中で、たまたま大好きな吉田美和さんの表紙だった雑誌『Olive』を捲って、「パレットクラブ」の広告が目に入って、そうだ次はイラストだった!よし1年後に仕事を辞めてイラストをやろう!そんなにトントン?

悩んだ記憶がないんだ。ん~、やっぱり悩んでない・・・。

――その当時の広告あります?もしあったら是非観たい!他人の人生を決める広告。(笑 色々な要因はあるだろうけど、まずは「パレットクラブ」が雑誌『Olive』に広告を掲載したところがミソかしら?

それはそうだよ!当時は『Olive』最盛期。パレットクラブの講師陣は『Olive』にイラストを描いている人や編集にかかわっている人たちだったから、講師一覧を見て「わ~!この人も知ってる!」「この人も知ってる!」って。(笑

――watoさんはパレットクラブ何期でした?

2000年入学の4期。

――で少し話を戻すと、雑誌『Olive』でパレットクラブの広告と出合ってしまった1年後に・・・。

病院を辞めちゃった。1年間コツコツ貯金をして、仕事もスパート掛けたよ。

病院ではポジションがいっぱい別れてて、まず現場と事務所の仕事と別れてる。事務所の仕事には「管理栄養士」の資格を取った人しか携われない。その資格を取るまでは現場で仕事を覚える。一般常食、おかゆ食、糖尿病、腎臓病、塩分制限、小児食、妊婦さん・・・。それを3ヶ月毎にローテーションすることになっていて、順調に問題なく3ヶ月毎に回っても2年掛かるの。そのポジションで出来が悪いと次のポジションへ移れないの。早く仕事を覚えて順調に巡っても2年掛かる。管理栄養士の資格が一発で取れていれば、3年目からは事務所の仕事に移れる。その事務所でもポジションがいっぱい別れていて、やはり3ヵ月毎にローテーション。現場、事務全てのポジションをストレートで回れば4年で1周する仕組みになっていたの。

3年目までは順調に来ていたから、あと1年で終わらせなきゃ!って自分なりにがんばりました。仕事を全て覚えたら、その病院の仕事がやっとスタート。先輩達にしてみれば、やっとwatoちゃんが使えるようになったわ♪という時に「辞めます♪」と云われて、ズッコケたと思います。ごめんなさい。こちらは1年前から覚悟が決まっているけど。先輩達は、かなりビックリされましたから。

ただ、その頃になると、病院関係のクリスマスカードやお正月カード、病院内で貼るポスターとかをいつも私が描いていたから、私がイラストが描けることは職場のみんなも知っていて。watoは絵が好きということもみんな知っていたから「絵の学校に行きたいので」と云ったら、割と納得してくれたみたいで。未だに病院のみんなとは仲良くしてもらっています♪

「パレットクラブで視野が広がった」
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――そうしてパレットクラブに通い始めたのが2000年。選んだコースは?

イラスト基礎コース。

――そこでは何を学んだのですか?

視野を広げてもらいました。パレットクラブの先生は、他のイラストを習う学校とは違って、イラストの技術を教える先生から教わるのではなくて、イラストレーターとして活躍している人とか編集者の方とかイラスト専門の先生じゃないんだよね。そういった方から、自分たちがやってきたことや、思ってきたこと、考えていることを教えてもらえる。

技術的なことではないけれど、こんな人がいるんだ!こういうことがあるんだ!とか、新しい先生が来る度に自分のアンテナが広がっていった。車、ファッション、音楽、住まい、建築、とにかく視野が広がったね。これってイラストレーターにすごく大事なことで、絵が上手なだけじゃ仕方なくて、何を描くのか?自分が興味を持てることを見つけなさい!と言ってくれた。その年は視野も広がったし、フットワークも軽くなったし、興味がないものでもまずは見るようになったし。そういうことを教えてくれた。

――どんな人になりたいか?では何を描くのか!いいですね。

どういうことをしててもいい。ルートはひとつじゃないってことがいい。

――目標がないのにスキルだけ学んでもね。目標がないのだから、スキルがあってもどこへも行けないんですよね・・・。

うん。今は目標決めが不足しちゃってるなって気がしている。だったら手っ取り早いのは、これですよ、パレットクラブですよ!現にイラストレーターとして仕事をしている人を見るのが判りやすいし、目標が立てやすい!(笑

――人と会うのはいいですよね。パレットクラブは何年間?

生徒としては1年。その翌年からはスタッフとして、かれこれ7年通っています。一番長くなっちゃった。(笑

――スタッフとしてはどのようなお仕事を?

先生方のサポートをしたり、お教室のお掃除をしたり、生徒さんとお喋りしたり。あとは授業の内容を記録したり。気分的には、毎週授業を聴きに行っているという感覚なんですよ。ありがたいんです、ほんと。(笑

生徒の頃からなりたかったんだよね、スタッフ。黄色のTシャツ着たお姉さんがいて、それが「パレットのお姉さん」。いつも優しいし、素敵だなぁ~って思ってた。

だから、卒展の最後に開かれたパーティの日にパレットクラブの運営に携わっている原田先生がいらっしゃった際に「スタッフの募集はしていないですか?」って聞いたの。そうしたら原田先生が「やる?」って云ってくれて、あとで返事すると言ってくれて、2週間後くらいに原田先生から連絡があって、パレットクラブのスタッフになることが決まちゃった。(笑

――やりたいことを決めろ!そして探せ、聞け、口に出せ、以上!(笑

口に出せ!は、本当にそう思う!自分が上手く出来ないことは、きっと誰かの得意分野なんだと、都合の良いように考える。(笑 もちろん、ものすごいラッキーも重なっているんだけどね。タイミングとか色んなことが。やっぱり口に出すのは大事。きっと誰かが拾ってくれる。

――で、「ケータリングをやる!」と覚悟を決めたのはいつ?

今お話ししているところから1年後かな。あと1年くらい経つとその覚悟が決まります。(笑

「絵と料理の両方をやっていきたい」
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――では、続けましょう。(笑 パレットクラブの生徒からスタッフになりました。と云ってもフルタイムじゃないですよね?

はい。病院を辞めてから銀座のスープ屋さんでアルバイトをはじめていたんです。ざっくり言うと、昼間はスープ、夜はパレットクラブという生活が、その後6年くらい続くんです。

アルバイトはしなきゃならなかったし、パレットクラブで毎日聴講しようと考えていたから、パレットクラブがある築地に近い銀座界隈でアルバイト先を見つければ便利だな、と思っていて。アルバイト情報誌だけじゃお店の雰囲気が判らないから、歩いて探していたの。料理系のアルバイト先を探して、テケテケと銀座を歩いていたら目の前にスープ屋さんがあったんですよ。そう、そこにスープ屋さんがあった。(笑

当時スープ屋さんって、新しいスタイルだなぁ~と思って。しかも創作スープと書いてあって、せっかく栄養学も勉強したからそういう知識も使いつつメニュー提案もさせてくれて、野菜もいっぱい使えるようなメニューで・・・というのがアルバイト先を決める基本にあったから、スープってぴったりじゃない!?と。

早速そこでスープを食べて、お店の雰囲気もよくて、そのときお店で働いていたスタッフもいい接客で、グッ!とくるサービスをしていたんだけど、メニューにカロリー表示がなくて、勿体ないなぁ~と感じたの。これは私の仕事がある!と思ったんだよね。採用してくれたら、それができると思ったの。で、スープを食べ終わったあとスタッフの女の子に「アルバイトは募集していますか?」と聞いたの。そうしたら、そのお店は立ち上げて1年目ぐらいらしくて、その日たまたま社長とかヘッドスタッフの若い人たちがお店の地下の事務所に集まっていたらしく、話を聞いてあげましょうかってなって、地下の事務所に連れて行かれて、履歴書もないまま面接が始まって、じゃ、明日から!と。(笑

話していたら面白くて。社長は、今はスープ屋をやってるけど、元々はイラストレーターだったと。私が「夜はパレットクラブに行きたいから、シフトでは我侭を云いますが、それでも宜しければ働きたい。」と言ったら、社長が「自分も絵を描いていた。だからその絵を描きたい気もちは判る。是非是非その学校には行って!」と後押ししてくれて。実はアルバイトの募集はしていないけれど、栄養士がいればいいな、と思ってたんだ、と。

料理をやってきて絵もやって行きたいと思っている私と、絵を描いてきて料理をやりたいと思っている社長。そこで意気投合して。社員になると融通がきかなくなるからアルバイト扱い。毎日、朝スープ屋へ行って、夕方からパレットクラブに行く生活が始まったの。立ち上げたばっかりのお店だったから、メニュー開発も提案して、美味しくできれば商品化もしてくれたし、黒板の絵も書かせてもらったり、トレーシートにも今月のメニューの隣に絵を描かせてくれたり。

あと社長は絵本をつくるのが昔からの夢で。昔から物語の文章はあって、これに絵をつけてみない?ということで、自由に絵をつけたのが、あのオレンジ色の絵本(『スープ屋さんのスパイ』)。で、ポストカードも作らない?とポストカードも作ったり。あと「新店舗の工事で大阪に来ているんだけど。壁がねぇ、白いんだよねぇ、描く?」と大阪から電話があって「描くー!」と。で、1週間大阪で絵を描いたりしてた。(笑

絵と料理の両方をやっていきたいというのを汲み取ってくれて、その両方をやらせてくれたお店だったんだよね。週1回くらいしか入っていない時期もあったんだけど。(笑

「130人のピクニック」
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――もう止らない!って感じですね。(笑

ざっくり6年間をボ~ン!と話しちゃったので、ちょっと戻ってまとめると。

2000年からスープ屋さんとパレットクラブ。2001年はスープ屋さん&絵を描き貯めている時期。2002年くらいになると絵が貯まってきて個展とかやってみたいなぁ~という気持ちになっているわけ。ケータリングの仕事があるということは、その頃に気が付いていて、だんだんと興味が出始めている。

2002年8月~9月に初めての個展をやることにしたんです。町田の版画美術館の中に小さな喫茶店があって、そこが個展の会場だったの。個展をはじめてやるにあたって、テーマはピクニックにしよう♪と。ピクニックが大好きだから、ピクニックの絵を描いて。その建物の横が町田市立の「芹が谷公園」っていう大きな公園があったの。そこで最終日にピクニックやったら楽しそう♪来てくれた人は私の絵をみて、私がおにぎりとか作って、みんなで食べたら楽しそう♪と思って。こういうのやったら来る?と声を掛けていたら、みんな行く!行く!って云ってくれて、気付いたら話が大きくなっちゃって。結局ピクニックに130人も来ちゃったんだよね。(笑

国際版画美術館がある「芹が谷公園」で130人のピクニック。それがはじめてのケータリングなの。そうして、2002年9月15日にwato kitchen(ワトキッチン)の第1回目が産声を上げたの。その日が決心した日。初めて自分が作ったものをケータリングして、絵の展示も同時にやって、みんなが絵をみて楽しそうにしてくれて、作った料理を美味しいね♪美味しいね♪と、日差しが心地いい中で食べてくれて、親戚のおじさんとか後輩とかもいっぱい居て、メンバーごちゃごちゃなんだけど、みんな楽しそうにしていたの。

その時、絵と料理って本当に人を幸せにできるツールなんじゃないかと確信したのね。せっかく両方とも興味があるから、両方やっていっていいんじゃないか。よし!両方やっていこう!と決心した。それがケータリングのはじまり。

――いやぁ~~~~~。(ため息)

こんなんで大丈夫ですかね?出来すぎ?(笑

――脚色なしですもんね。

なしですよ~。なしなんですよ~。(笑

――130人の笑顔を見ればね、確信しますよね。(笑

私、これからもこういうこと続けてく!みんなの笑顔も観たいし、みんな楽しそうだし!絵を描いたり、料理してみんなに食べてもらいたい!って強く思ったの。そして、人との繋がりに大感謝した日でもあった。「遠いよ!遠いよ!なんで町田なの!?」ってブ~ブ~言われてて、でも当日には「みんな来てるじゃん!」みたいな。(笑

そのピクニック開催の縁の下の力持ちになってくれたのが、東京カリ~番長という4人組みのケータリング。2001年か2002年頃に、たまたま彼らの本を読んでいて「うわっ!面白そうなことをしている!」と気になっていたの。その後、カリー番長さんのイベントに遊びに行くキッカケがあって、そこでまた話し掛けて、名刺交換をさせてもらっていたから、連絡先を知っていたのね。その数ヵ月後にピクニックを思い付いたのだけれど、初めてそういうことをするし、やり方が全くわからなかった。食材はどうするの?人集めは?会費は?場所の許可は?とか何にもわからない。その当時、カリ~番長さんは23区にある公園で、カレーを振舞うというゲリライベントしていたからカリ~番長さんに聞いたら教えてくれるかも!と連絡を取ったのね。「アドバイスをいただきたいのですが」って。

それで、ピクニックの趣旨を説明したら「俺らも混ぜてよ!」とカリ~番長さん達も参加してくれたの。集客の1/3はカリ~番長さん。(笑

「一緒にやろうよ!」と言われた時はかなり感動。本で知ったアイドル的存在だったし、本当に一緒に?!と本当に感激しちゃったの。「カリ~スープ vs スープカリ~!」というタイトルにして、どっちがどっちじゃ~!みたいな。(笑

wato kitchenの誕生は、カリ~番長サマサマなのであります。(笑

――カリ~番長さんが手伝ってくれたのも、そもそもはwatoさんが連絡したからなんですね。そして聞いて聞いて聞きまくっている。さらに、この人なら間違いない!って人に聞いている。

カリ~番長さんの本に書かれていたカレーにまつわるお話し面白かったから。そんなこんなで、2002年にケータリングを始めて、2007年9月に5周年を向かえました。その次の転機はスープ屋を辞めた時かな。2006年1月に辞めます、と。

――辞めることをどのように伝えたんですか?

「フリーになります。」と。スープ屋さんの社長は「いつ言い出すかと思ってたよ。」って。それで2006年1月にスープ屋さんを辞めて、休養を取るために実家のある岩手に4ヶ月ほど戻りました。そこで充電して、2006年4月末に東京へ戻った際に区切りになると思って展示をしたの。リスタートということで。青木たかひろくんと個展の同時開催をしました。その時、2006年5月のGWから「フリーランスとして始めます。」という意識に変わったかな。個展の宣伝と一緒に「東京に戻ってフリーとしてやっていこうと思います!」とお世話になった方々に案内したから。それからようやく丸2年だね。

――丸2年ですか。この2年間のお話しは更に濃いのでしょうね。ところで、竹ノ輪がwatoさんにお会いしたケータリングサービスCUELさんのイベントには、どのような経緯でいらしてたんですか?

そもそもハギワラさんのことを随分前から知っていたの。フードコーディネイターになろうと思ったきっかけがハギワラさん。最初はGOMAちゃんのイベントで知って、2001年か2002年の頃から追っかけて活動を見ているの。カリ~番長も同じようなステージだよね。CUELさん・GOMAちゃん・カリ~番長。パレットクラブに来ていた子たちは、みんながそういったことに敏感だったと思う。これも視野が広がったことのひとつ。その中でも、ハギワラさんは私が病院で働いていた頃に知っていたの。

――キーになる人物だったのですね。

スープ屋さんの社長、パレットクラブの原田先生、CUELのハギワラさん、そしてカリー番長。

――何だかアリスですね。(※編注 「オズの魔法使い」と言いたかったのに「アリス」と間違えています。)

小さい頃の愛読書はオズとアリスですよ♪(※編注 「アリスじゃないよ!」と突っ込まないwatoさん。優しい。)

――フードコーディネイターであるハギワラさんを10年前から知っていて、とうとう会えるようになったんですね。

そうなの!ほんと、不思議でしょうがないんだよね。ハギワラさんの著書が勤めていた病院の売店で売っていて、その時にハギワラさんの本をはじめて読んだの。『~になりたいって』いうシリーズの『フードコーディネイターになりたい』という本。読み終わって「うん、なりたい!」と思った。(笑

――watoさんが働いている病院に並べちゃいけない本だよね。(笑

そうなのよ。事務所で仕事をしている時でもカバーを裏返しにして、こっそり読んでいたの。(笑 毎日カバンの中に入れて、ひとりで中庭でご飯を食べながら「これかも!」って夢が広がっていったの。その時には「病院を辞めること」は強く意識していなかったけど、長い目で考えたときに、私はちょっとアートよりだから、こういうことかも知れないなと、この本を読みながら考えていたの。

その話をハギワラさんとお会いした時にお伝えしたら、次の日にハギワラさんからメールが来て「watoさんがそんなこと云うから、私って何を書いたかすごく不安になって夕べ読み返しました。」とメールが届いたの。なんていい人なんだろう!て思った。(笑 それから仲良くしてもらっているんだけど、ホント不思議なのよね。

自分の何が凄いかと敢えて云うならば「運」が凄い。今まで自ら1回もお仕事の売込みに行っていないのね。ひとつの仕事をしたら、次の人が拾ってくれる。ホームページから連絡が取れないけど、何とかして私を見つけてくれた人とお仕事しているの。どこと仕事しているか調べて、どうにかして連絡してくれるの。不思議でしょうがないんだけど。料理の技術やセンスは、まだまだ未熟なところが一杯あるんだけれど、凄く運がいいのかな。

――好きなことだけやっていると・・・

数珠繋ぎの具合が凄い。(笑 例えばね、どうして今J−WAVEのお仕事をさせていただいているのか?と聞かれて考えてみると、ドンドン元に戻れるの。カリ~番長さんまで戻れる。そんな風にして全部が繋がっていて。ちなみにJ−WAVEのお仕事は雑誌『anan』のお仕事を見てご依頼いただいて、雑誌『anan』のお仕事はサントリーさんのお仕事を見てくれて、サントリーさんのお仕事はあるイベントで働いていた私を見た広告代理店の方がプッシュしてくれて、じゃぁなんでそのイベントでケータリングしていたかというと・・・って。ケータリングをはじめたのは、先にお話ししたとおりカリ~番長のおかげでしょ。130人の笑顔と。そう、全部誰かのお陰が繋がってるの。もちろんフリーになってすぐそうなったわけじゃなくて、すっごく貧乏時代もあったのよ。

「みんかぶ弁当」
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――さぁ、そんな中、みんかぶ弁当ですよ。

60人分のお弁当、みなさんのパワーを貰ってがんばります!

じわじわと人数が増えて嬉しいねぇ~。実は、基本的に「お弁当は引き受けない」ことにしてたんですけど。課題を出されるとやりたくなっちゃうのね。(笑 お願いしてくれたこと自体も嬉しいし。それの繰り返し。

仕込みが大変だったり、忙しさのピークがどのケータリングにもあって、何で引き受けちゃったんだろぅ・・・って。でも、喉元過ぎちゃうんだよね。(笑

(※丁度この時、私の携帯にCUELのハギワラさんから着信。用件を済ませてwatoさんに電話を代る。「もしもしwatoです!ご無沙汰してます。会いたいです♪えっ!?ズルイ!?(笑」 どうやらみんなだけで集まってズルイということらしい。(笑 インタビューだからと釈明!?)

仕込みのときは大変だけど、充実感を味わっちゃうとね。

――麻痺してきて、だんだん刺激が強くないと愉しめなくなっちゃってる?(笑

もっともっと大変なことを!って。ちょっと乗り越えてみたい、この山も!っていう。(笑

今年2008年の春に、胡麻のお菓子のBOXを大量につくるオーダーがあったの。この仕込みが、他のイベントと重なってたから、お話しを頂いた当初はお断りしていたんだけど、「そこを何とか!」と強く言ってくれたから、一生懸命に実現できる方法を探して、その結果、なんとか実現できた。手伝ってくれたゆっこと2人で「2008年春の限界は超えたネ!」「次は2008年夏の限界”みんかぶ弁当”に挑戦だぁ~!」って。(笑 次は「みんかぶ」!いざ!いざ!と盛り上がっているの。すごく愉しんでいるから♪

――ありがとうございます!watoさんはスーパーサイヤ人ということが判りましたね。死にそうになって、復活するとものすげぇ~強くなっちゃう。更に強くなりたいから、自ら死にそうな状態を作っちゃう。そうか!watoさんはスーパーサイヤ人だったかっ!(笑

(笑 自分の限界を知らないと、今後どういう仕事の仕方をしたらいいかわからないし。まだフリーになってから2年しか経ってないし、撮影現場で一緒にお仕事をさせてもらう人も10年とか20年とかやっている方が沢山いらっしゃるから、私なんて、まだまだひよっ子だと。撮影の度に毎回そう思う。

――限界って、限界の手前で自分で決めちゃったりしますからね。そうは云っても、物理的な限界もありますよね?

そういう時には、まずはどうしたら出来るか考えてみて、自宅では料理ができない、ならばどこならできる!?って考えるようにしています。

――そういう発想はどこで叩き込まれたのですか?

これはね~、また違うキーマンが出てきます。(笑

ビジネス頭を私に教えてくれた人。それまでは「利益はいらなーい。」「みんながハッピーならOK!」って思っていたんだけど、そのうちみんなが心配してくれてね。この値段でこの料理が出てくるのおかしい!って。初めの頃はお料理を作る嬉しさが勝っちゃうから。でも「続けて行きたいなら利益を生まなきゃダメなんだよ。お金儲けがしたいとかじゃなくて。次の材料費としてね。」って。そうやってビジネスのことを教えてくれた。

よく行っていたGalleryのマネージャーなんだけど。その人は仕事が凄く早くて、無理なことをガンガンやっていた。徹夜も覚えたし、本当にやりたかったらどうやればいいかを考えるようになったし、仕事の依頼がきたときにどんなスタンスで受けるのかを3案くらい考えろって。丸呑みして受けるのか、ちょっと条件を提示して受けるのか、楽しい企画を提案して上乗せして受けるのか、ギャランティーとのバランスとか、喜びを見出せるようなならA案でとか、あとはスケジュールの管理とかを集中的に教えてくれた。「wato kitchenをサポートするよ!」って。wato kitchenを大きくしたいと思っていて、そう云ったビジネスの話しをしてくれた。その時の私はフリーになってすぐだったから、言われたことがチンプンカンプンだったんだけど、最近になって判る瞬間がある。こう考えればいいんだ!って。かなり感謝してます。

どんなことでも、やり方は何でもよくて、他にパターンを用意しておくとか、そうすると意思決定も早まるし。そのおかげでよりやりたいように仕事ができるようになった。言われたままじゃなくて、もうちょっとこうしたら楽しくなるんじゃないか?と伝えられるようになった。

――こちらとしても、詳しくないから、こういう事をwatoさんにお願いしちゃっていいんのかしら?ってとこありますからね。「あの~、watoさ~ん、実は歌舞伎のお弁当なんですけどぉ~。」って。(笑

全然ウェルカムだよ!今日のテーマは「まずは言ってみよう~!」だね。まずは口に出してみよう~!(笑

――そそ、できる・できないを決めるのは自分じゃない!私が「watoさんはお弁当は無理だろう。」って決める必要はないんですよね。watoさんに作って欲しいんだから、watoさんに「できますか?」って訊ねればいい。じゃ、来年も♪(笑

「可愛いおばあちゃんが目標」
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――では最後に将来のお話を。高円寺のスパゲティ屋さん「花鳥風月」で行われたトークショーでは「このままほわ~と行けたらいいわ♪」ってフリをされていたスーパーサイヤ人のwatoさんの目標を伺いたいのですが。何年後にしましょうか?10年後とか?どんな、おばあちゃんになりたいか?とか。

うん、おばあちゃん!超楽しんでいると思う!可愛いおばあちゃんって、やっぱり目標。

どうしたいかというとね、本心で、根っこにはあるのね。でも、あんまりリアルに、具体的なことは見えていないの。具体的じゃないけど、やりたいことはあるよ。いつか叶えると思う。とっても夢っぽい夢だよ。(笑

――モジモジされておりますが、私は是非とも伺いたい。(笑

場所は、ヨーロッパのある田舎街。

その街にあるスーパーマーケットがリニューアルオープンすることになったの。街で愛されているスーパーマーケットでね。リニューアルしたオープニングの日に呼ばれて行くの。

そして、そのスーパーの新鮮食材を使って、お店の前でスープを作って、お店に来てくれた街の人たちにスープを配るのね。お店の壁には絵を描かせてもらうの。

言葉は通じないんだけど、絵の前で「お店が新しくなって良かったね~♪」「美味しいね~♪」って。

花柄のスカーフを巻いたおばあちゃん。

私には、この景色が見えます。(キッパリ)(笑

――生まれてからおばあちゃんになるまで変わっていない。(笑

で、そこに辿り着くまでに、まずは日本全国の田舎町の郷土料理を教えてもらいたい。

――修行の旅に出る、と。

修行と触れあいの旅に。今年からのテーマではあったんだけど、あちこち行きたいの。その土地の人に出逢って、食べ物を見たり。今まであまり出歩かなかったから、私にとっては那須とか伊豆も遠い土地なの。愛知にも行きたいし。今とっても動きたい。日本を色々回って、その次が世界ですよ。世界の知らない食べ物知りたいなぁ~。まだヨーロッパには行ったことなくて。

――将来のためにも行っておかないとね。

ぼわ~っとした夢を持ちつつ、現実を考えれば、如何にして来週の撮影を完璧に成功させるかだね。それがきっと夢に繋がる。

――今日は本当にありがとうございました。最後に、「みんかぶ弁当」を食べてくれる方、興味持ってくれている方に一言。

みなさんにお伝えしたいのは「ようこそ、竹ノ輪ファミリーへ♪」「竹ノ輪を、知ってしまったのね♪」(笑

この企画力、集客力、それを生み出す情熱とか、結局、私はそこに惹かれて、断っていたお弁当を引き受けたのです。みんな良かったね、巡り合えて!ホントに。

「みんかぶ弁当」を食べてくれる人にはね、難しいことを考えないで、その日1日を思いっきりエンジョイして欲しいです♪

――ありがとうございます。ちなみに、去年1年間で食べたものの中で、「みんかぶ弁当」がナンバー1だったという人が居ました。その方は、普段から食材とか飲食店とか歩き回り、色々な食べ物をよく知っている人なんですが、その人がナンバー1だったと。兎にも角にも、楽しんで食べていただきたいということで。

はい。一生懸命つくります!

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――ちなみにお弁当はwatoさんから手渡しされます。歌舞伎チケット発送時に同封いたしました「みんかぶ弁当引き換え券」を忘れずにお持ちくださ~い!

あと、日本全国おばあちゃん巡りの企画をやりたいで~す!今日は「言っておく!!」がテーマですから言っておきます。(笑

――で、どこかの雑誌で企画が実現しちゃうわけですよ。日本全国おばあちゃん巡りの旅。竹ノ輪でもご紹介したいな。

竹ノ輪に興味を持ってくれた全国の出身者様、募っちゃう♪「うちの実家に来て~!」「一緒に帰省しよう~!」とか。国内外問わず、募集中!(笑

――いいね!どうすればできる!だからね。

あと最後の最後に、ちょっと宣伝を。2008年7月14日からwatoがイチオシのアーティスト。ミヤザキケンスケくん、通称ミヤケンくん。

――2002年に一緒に個展をやった人?

それはアオキくん。アオキくんとミヤケンくんとは別々のルートで仲良くなったの。でも、数年後に実は2人は同じ大学の同級生で、唯一無二の友達だったことが判明したけど。(笑

で、そのミヤケンくんが2008年7月14日から20日まで、渋谷コンシールというギャラリーで個展をします。それに私がコラボレーションしているんです。・・・って言ってたら、丁度ミヤケンくんからメールが来た。(笑

平日にwatoの焼いたケーキを会場のカフェスペースで食べられるの。そしてパーティが7月19日にあって、そのパーティで私がフードを担当します。これだと、よくあるコラボレーションですが、今回はもう一歩深いんです。

コラボのテーマを考えていたら「野菜!」と降りてきたの。野菜の絵を書いて、そのまま野菜を出すんじゃ面白くないから、まずは野菜が土から出ているところから見てみたい!育てている農家の話しを聴きたい!そこの農家さんの野菜を使って料理をして、農家さんからのメッセージを展示に来た人に感じてもらおう!というコラボレーションになったのです。で、わざわざ愛知県まで畑の取材に行きました。(笑

愛知県に知り合った農家さんがいて、ずっと遊びに行こうと思っていて。風変わりな農家で、茶髪農家。(笑 でも野菜のこと語らせたら止まらない。知識量が半端ないし、熱い人で。そして会いに行ったんです。2人とも感銘を受けて、テンションが上がりました。平日にお出ししるケーキも、その農家で育った野菜を使ったパウンドケーキを作ります。そんなメッセージ性の強い展示です。

ミヤケンくんの作品は大好き。NHK BS2で放映されている「熱中時間」のスタジオ背景を毎回描いているの。いろんな熱中している人が出てくる番組で、出演した人を描き足しています。

今回は、実際に畑に行った、かなり気合が入っているイベントです。野菜ケーキ、楽しみにしてて♪

(※編注 インタビュー掲載が間に合いませんでしたが、とっても美味しくて、楽しかったことをここにご報告いたします。どれも野菜の味=太陽と水と土の味、そして作り手の愛情が詰まった味!美味しかった!)

「番外編」

(インタビューから2日後。以下、watoさん。那須へ向かう車の中、watoさんにレコーダーをお渡しして、ラジオのように。)

「今日は何とアルパカ牧場に行きま~す♪無事たどり着けるのか!?現在8時20分。何時に着くんでしょ?

さて、早速ですが、一昨日のインタビューの続きを。私がフードコーディネイターを目指すキッカケとなった憧れのハギワラさんに今も仲良くしていただいているキッカケは果たして何だったか?

ず~っと前から仲が良かったような気になっていたから一昨日は思い出せなかった。w そもそも、どうしてTAKEさんと出合ったCUELさんのトラベルイベント(CUEL主催の「トラベルナイト」)を知ったのか?ってところに遡ったんだけど、あのトラベルイベントは2006年7月で、その前の6月に池袋のロサ会館(地下2階 LIVE INN ROSA)でワールドカップに出場した日本代表を応援しよう!サッカーが判らない人も一緒に観よう♪というサーカーイベントがあって。

何でそのイベントに行ったかっていうと、友達の有坂兄弟のトークショーがあったのと、CUELさんも出展していたから。イベントの当日は会場の遠くから「あれがハギワラさん!」と見ていただけだったんだけど。有坂兄弟の弟に「ハギワラさんとしゃべれる?」と紹介してもらって、お名刺を交換させてもらって、それでトラベルナイトと長嶺輝明さんの写真講座を紹介してもらって、CUELさんのイベントに行ったの。そこからなの。ハギワラさんを知ってたのは、一方的だけど10年前から知っていたからね。サッカーイベントに参加していたGOMAも友達だし、みつばちトートさんも一緒にケータリングをやったことがあって、今思えば、あのサッカーイベントは知っている人だらけだったのね。そこで憧れのハギワラさんに出逢えたと。

では、一旦マイクをお戻ししま~す!ありがとうございました♪」

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(アルパカ牧場から帰る車中)

「さて、次はキーマンのひとり、Galleryコンシールのマネージャーさんについて、もう少し。

2002年9月に初めてのピクニックケータリングをやったことで、これからもケータリングを続けていこうと決心しました。その後2~3ヶ月間はカリ~番長さんのイベントでサラダを出したり、デザートを出したり見習い気分でくっついて歩いていたんだけど、その後どうしようかな?と思っていた。

その頃は、銀座のスープ屋さんにいたのね。仕事が終わった帰り道、いつも東銀座から電車に乗るんだけど、その日はなんとなく新橋から帰ろうと思ったの。で、銀座は碁盤目状になっているでしょう。銀座5丁目のスープ屋さんから新橋に向かって、ひと角毎に曲がって新橋まで行こう♪となんとなく思ったわけ。ジグザグ、ジグザク、ジクザグ、ジク!のところで、暗い細い通りにイーゼルが立っていて、赤いランプがついていたの。そこに「ギャラリー」って書いてあって、しかも23時までって書いてあって、古いビルで。

その古いビルに怪しい螺旋階段・・・。2、3歩通り過ぎて、やっぱ戻って、4階まで上がったらグループ展をやっていたんだけど、そこのマネージャーさんが居て、展示を観終わった頃合で声を掛けてきたの。「デザイナーですか?」みたいなことを云うわけ。その時間に銀座で家路につくってところで、そう聞いたみたい。「近所のスープ屋です。」絵を描いたり、料理をつくったり、ギャラリーにも興味があります。なんてボソボソとしばらく話しをしていたら、彼はイギリスにバックパッカーで3ヶ月くらい行っていて、ホームパーティを経験した。そこで、お料理を食べながら楽しむというパーティが楽しくて、自分のギャラリーでも食べ物を囲んでパーティをしたいと常々思っていた。しかし、自分の周囲には料理をする人がいなかったと。私は、丁度、料理ケータリングをしようと思って3ヵ月後くらいのことだったの。でも場所はどうしたらいいか判らない・・・。そんなタイミングだったから、場所と料理をする状況がガッチーン!「じゃぁ!今度のクリスマス何かやろう!」とその場で決まっちゃったの。(笑 2002年10月30日。

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フードを出すだけじゃつまらないから、私も絵を描いて一緒に展示をして、クリスマスパーティを開こう!と。そうして2002年12月のクリスマスにグループ展をやって、「あたたかいクリスマスパーティ」みたいなタイトルでチケットを80枚ほど販売して、そしたら本当に80名全員が来てくれて大騒ぎ。(笑

それからケータリングの拠点がGalleryコンシールになって、Galleryだからオープニングパーティやクロージングパーティにタイミングが合えば、マネージャーが声を掛けてくれて、私がケータリングをして。そうやっていろんな人を紹介してくれていろんなパターンのケータリングを経験して。そうしたらGalleryコンシールのケータリングで食べてくれた人が、別のGalleryでやるんだけど・・・と声を掛けてくれて、そうやって1年か2年が過ぎた頃にはGalleryコンシール以外でもケータリングをやるようになっていたの。

ケータリングをはじめられたのはカリ~番長のお蔭。ケータリングできる場所が広がったのはGalleryコンシールお蔭。いろいろアドバイスもしてくれたし。

2000年に銀座のスープ屋さん。2002年9月に初めての個展とケータリング。2002年10月末にコンシールに出逢う。その後Galleryコンシールは、2004年に銀座のビルの取り壊しが決まって、渋谷に引っ越したんだけど、それからも仲良くしてもらってます。」

(現在のお仕事について)

「今は雑誌に載せるための料理を作ったり、イベントにケータリングをしたり、あとイラストの連載が2つ3つあるのでそれを描いたり。あとラジオもあるので、メニューを考えたり、収録したり。アルパカに会いに行ったり。(笑

あとはイラストを描くために取材をしているかな。レポート記事の連載なので、いろんな人に会ってお話しを聞いています。まだまだお仕事できる余地はあります。まだできます!(笑

竹ノ輪の企画もぜひね♪47都道府県のおばあちゃんに会いに行こう!企画ね。47都道府県のおばあちゃんに郷土料理を習いに行く企画。現地に行ったら必ず地元のラジオに出るようにしたいね。

やるためにどうするか!?費用の捻出!スポンサー募集中!(笑

ありがとうございました!」

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2008年6月 於:竹ノ輪邸(新宿)、那須新宿間のヴィッツ内

※1:「オリーブ」は、特に1980年代においては実用的なファッション雑誌というより、新しいタイプの都会的少女文化を提示するサブカルチャー雑誌というべき存在であった。主要読者層としてミッション系大学付属校に通う女子高生や帰国子女を含み、音楽、映画、インテリア、絵本など文化記事に力を入れ、「オリーブ」の愛読者でリセエンヌ的なファッションやライフスタイルにこだわる若い女性はオリーブ少女といわれた。(Wikipediaより抜粋)

協力:花鳥風月(写真撮影)
写真撮影:松永 直子、小早川 ひとみ、都貴、竹村 圭介
取材・文:竹村 圭介

Keyword


watoを知るキーワードをピックアップ。

keyword.01 「薬剤師・管理栄養士」

watoさんのママは「薬剤師」。「薬剤師」は、主に薬剤を取り扱い、薬事業務を司る専門職であり化学者。薬局や病院・診療所、医薬品関連企業で働く人が多い。薬学系大学に入学して卒業した後に、薬剤師法に規定される国家試験である薬剤師国家試験をパスして薬剤師免許を取得したら、はじめて「薬剤師」。そしてwatoさんは「管理栄養士」。都道府県知事が与える「栄養士」の免許を持っている人が、管理栄養士国家試験を受けて合格すれば厚生労働大臣から免許を与えられる国家資格。かなり大雑把にまとめましたが、それぞれ国家試験には受験条件などもあり、長期間勉強を続 ける忍耐と免許を取得するという強い意志が必要。ちなみに「栄養士」と「管理栄養士」の違いを簡単に書くと、都道府県知事の免許と大臣の免許という違いはもちろん、「栄養士」の”栄養の指導”に対して、「管理栄養士」は”高度の専門的知識・技術を駆使した健康の保持増進のための栄養指導”や”病院などの施設に対する栄養改善上必要な指導等”を行うことができるとのこと。ということで「みんかぶ弁当」は ”管理栄養士さんがつくったお弁当”だったのであります!歌舞伎を観て楽しんで、更に健康もサポートしちゃう!今更ですが、何だか凄いぞ「みんかぶ弁当」。

keyword.02 「パレットクラブスクール」

オフィシャルサイトの説明によれば「第一線で活躍するプロフェッショナルが直接指導にあたるイラストスクールです。」とのこと。第一線で活躍するプロフェッショナルな方々がどんな方たちなのか気になった方は、サイトをご覧ください。そして、watoさんと私のパートナーであるtokiさんが出逢った場所。この出逢いに「CUEL」さんとの出逢いが合わさって生まれたのが「みんかぶ弁当」。何でも「みんかぶ弁当」に繋げます。

keyword.03 「ケータリング」

ウィキペディアには「ケータリング(catering)とは、顧客の指定する元に出向いて食事を配膳、提供するサービス業。」とあります。で、調理設備を備えた車両などをコンサートや仕事場や商業施設などに持参して食物を提供するサービスと、その場にある台所で食事を用意して、食卓に配膳したり、バイキング形式で提供するサービスなどがあるらしく・・・。もし私がこれを先に知っていたら、watoさんに「お弁当」を お願いできなかったことでしょう。そんな危機を乗り越えて生まれたのが我らが「みんかぶ弁当」なのであります。

Works


watoさんが今までに作られたお料理の一部をご紹介。

シネクラブ・キノイグルー主催の映画上映会にて。
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2003年からかれこれ10作品以上、映画とフードのコラボをやっています。
映画にちなんだオリジナルメニューを考えるのが楽しい!

ギャラリーにてwato kitchen主催のスープ教室。
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壁には大きな絵を描いて、旗を飾って。。。
アート&フードの楽しい空間を用意。アリスのお茶会気分♪

アーティスト・ミヤザキケンスケくんとのコラボイベントにて。
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愛知県の畑に取材に行き、その畑のかぼちゃを使って作ったケーキ。

雑誌での料理初仕事は2006年1月『anan』のダイエット特集。
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身体にいい食材を使ってメニューを考えました。スタイリングも担当。
わからないことだらけでした。。。

2007年6月からレギュラー出演中のJ-WAVE「KISS & HUG」
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毎回子供向けのキュートなネーミングや盛りつけのレシピを紹介しています。
ちなみにこの写真は「ス